カテゴリー別アーカイブ: 宮脇利充

ナウでガッツなヤングのようなおじさん

ルーティン・ワークって誰しもありますでしょ。毎回することの順序。たとえば、朝起きて、歯を磨いてヒゲを剃って顔を洗ってアフターシェービングローションを塗ってコーヒーを淹れて食事して薬(サプリ)を飲んでトイレに行って、みたいな。この順番が、なにかのきっかけで狂うと、その影響がどこかに出る。というような気がします。なにかを失念したまま、あとで問題が起きるというような。

実は今日、いつもと違う順番でこのローテをこなしたため、着替えるときにパンツ(ズボンのことです)にベルトをするのを忘れました。出社して、なんか今日は腰パンだなぁ、腹がひっこんだのかな、宴会続きなのにおかしいな、なんかの病気かな、・・・などと考えながら最初にトイレにいったときに、ベルトをしていないことに気付きました。

というわけで、今日は一日、ゆるゆるの腰パンでした。くだらない話につき合わせて申し訳ありませんでした。みなさまも、ルーティンにはお気をつけください。

Bird Land

17日(日)、初めて探鳥会(バード・ウォッチング)に参加しました。場所は、熊本市の坪井川遊水地。日本野鳥の会熊本県支部の主催です。遊水地の中心部をおよそ2時間、ゆっくり歩きながら野鳥を観察しました。そして、その間に見た鳥は・・

ゴイサギ、ダイサギ、コサギ、アオサギ、カルガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、バン、オオバン、キジバト、ツバメ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、ジョウビタキ、シロハラ、ツグミ、ウグイス、メジロ、ホオジロ、アオジ、オオジュリン、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、カワラバト、オナガガモ、ベニマシコ。・・・30種類!

野鳥の会が準備して下さった双眼鏡を手に回るのですが、会員はみなさん、三脚と倍率の大きい望遠鏡をお持ちで、そのレンズに野鳥を捉えると「〇〇(野鳥の名前)、入りました」と参加者に教えて下さる。それをかわりばんこに覗くと、これが!鳥って、アップで見るときれいなんですねぇ。背の色、おなかの色、顔の色、頭頂部の色、それぞれに違っていて、そのなかに白い〇だったり◇だったり△☆な紋様。遠いところにひとり静かに佇む鳥、何を考えているのか?何も考えていないのか?ただボーっとしてるのか?獲物を狙っているのか?を、ビシッとピントのあった画で見るのは、TVで見るのとは違う、好奇心をくすぐる体験でした。

私が今回教えてもらって、いいなぁと思ったのは「オカヨシガモ」です。たぶん「オカヨシガモ」です。鴨って、頭部が緑だったり橙だったり色目のくっきりした鳥という印象だったんですが、オカヨシガモは概ね全体が灰色で、でも各部が微妙に違う灰色で、それが地味でありながら、美しい。シック。おしゃれフリーク。・・残念ですが、スマホでは撮れなかったので、是非ネットで検索してみて下さい。

それにしても、熊本市の中心部にほど近いところに、これだけの野鳥の宝庫がある。熊本市はほかに江津湖や立田山などもありますが、坪井川遊水地は、もとをただせば川の氾濫地で田畑だったところ。そこに人為的に作られた水辺に、鳥やほかの生き物が集まるようになって人の憩いの場になった。これは、僥倖、天恵、福運、言い過ぎか?じゃ、好機、幸運なことではないでしょうか。まったく放って置けばよいというものでもないようです。水辺の葦はそのままにしておくと、年々積み重なって水辺は消失し、やがて土になるとも聞きます。そうすると、渡り鳥も来なくなる。だから、最小限人の手を入れる必要はあるようです。ただ、あくまで最小限にして、次の世代にこの環境を残していきたいものです。

野鳥の会の皆さん、ありがとうございました。楽しかったです。熊本県支部では県内各地でこういう初心者大歓迎の探鳥会を毎月開催されています。

興味のある方は、http;//torikuma.com で検索してみてください。

 

 

 

安田純平さん講演会 「あきらめたら終了です」

 

 

シリアに40ヶ月拘束されて昨年10月に解放された安田純平さんの講演会が熊本市でありました(3/12 熊本市パレアホール 「あきらめたら終了です」 熊本県平和運動センター主催)。

安田さんが拘束されることになった伏線、長期に及んだ拘束のわけ、日本政府の関与と身代金の支払いの有無など、第一当事者の視点からの分析はなるほどそうかと思える内容でしたが、それは今後いろんなところでお話になるでしょうし、また本も出版されていますから、ここではふれません。

2時間近くの講演の最後に安田さんが話されたのは、拘束されていたときの話でした。

何もすることがないと、自分の人生を振り返る。あんな仕事こんな仕事もしておけばよかった。いろいろお世話になった人たちのためにもっと力を尽くすべきだった。もっといろんな国に行っておけばよかった。家族ともっと一緒に過ごせばよかった。大学のときにもっと勉強しておけばよかった。後悔の念は、小学生の頃まで遡ったそうです。あのとき別の道を選んでいれば今とは違っただろうと、その都度その都度の判断を反芻するようにして。そして、これから実行できるという希望があればいいが、その希望がない後悔がいかにつらいものだったかと話し、会場の350人に「これから好きなことをどんどんやってください」とよびかけられました。

講演会に集まった多くの方は私より年長とお見受けしましたが、その言葉に深く頷かれているようでした。しかし、自分が本当にしたいことは何なのか?後悔しないために今なにをすればいいか?この問いの答えは、中年にとってそれほど簡単なものではないです。今日の事なら分かる。しかし、先を見通しての判断は、なかなか難しい。安田さんの言葉が五十男をとらえて、揺さぶりました。

 

 

Eric Clapton 12小節の人生

(この映画をこれから観ようと考えている方は読まないでくださいね。内容に触れています)

エリック・クラプトンの映画を観て、思い出すことがあった。

彼は、1990年ごろだったと記憶するが、当時4歳だった愛息が高いビルの掃除中でたまたま開いていた窓から落ちて死亡するという悲劇に見舞われている。そのときのことを、映画で自ら語っている。

世界中のファンから寄せられた何千というお悔やみの手紙のなかに、息子自身から送られた手紙があった。それは、休暇が終り1週間前に別れた息子が、暮らしているイタリアから出した「パパ、また一緒に遊ぼうね」と書かれたエアメールだった。映画では、この手紙の幼い字が映し出される。この時点で、長年に亘るアルコール中毒だったエリックは、酒なしでは乗り切れないと思い酒瓶に手を伸ばそうとするのだが、ふと思いついて、部屋にあったナイロン弦を張ったおもちゃのギターに手を伸ばす。そして、名曲『Tears in Heaven』が生まれた。

思い出したというのは、その頃私が担当していたテレビ番組のことだ。土曜日の夕方1時間の生放送だったその番組は、女子大生たちが出演しておしゃべりする賑やかな番組だった。その音楽コーナーで『Tears in Heaven』がチャートインしたとき、出演者の一人が「さすが、クラプトン、転んでもただでは起きませんね」というような発言をしたのだ。週明けに、私のもとに1枚のハガキが届いた。そこには、子どもを失った親の気持ちが分からないですか。あのコメントはひどいと書かれていた。ぐぅの音も出なかった。私は、出演者がその発言をしたときに諌めなかった自分を恥じた。年長の司会者である私が、やんわりとフォーローしなければいけない局面だった。あれから四半世紀経つが、いまも時々思い出す。ほかにも、同じようなことを繰り返してきた。自分の不用意な発言で多くの人に不愉快な思いをさせ、傷つけてきたことを自覚している。そして、徐々に、自分にテレビやラジオで能天気におしゃべりする資格はないと思うようになった。

仕事上の体験だけではなく、そういう苦い思い出からは一生逃れられないだろう。比較は毛頭出来ないが、エリックも不幸な生い立ちや失恋の痛手など酒に逃げたくなることが多々あったに違いない。だが、辛い思いを酒で一掃することはできなかった。どうすればいいのか?逃げるのではなく、それに見合う、楽しい思い出になる経験を重ねるしかないのだと思う。

ドラッグ中毒、アルコール中毒、息子の死と辛いエピソードの多い映画だったが、現在の彼の穏やかな表情は、愛する家族と友人に囲まれて幸せな後半生であること示していた。だから、彼の中毒時代の酷い様子や女性遍歴などネガティブな側面を関係者が証言するという映画の内容にGOサインを出したのだと思う。ただのギターヒーローの話ではなく、誰しも自分と重ねることができる、とてもフェアな映画だった。

石牟礼道子さんの番組「沖宮」があります

すっかりご無沙汰していました。すみません。今年もよろしくお願いします。

ところで、熊本在住で現代日本文学を代表する詩人・小説家だった石牟礼道子さんが亡くなって、来月で1年になります。1周忌を前に、石牟礼さんの番組を制作しました。

石牟礼さん原作の新作能『沖宮(おきのみや)』が、昨年秋、熊本・京都・東京の3箇所で上演されました。自ら「最後の作品」と発言しているこの作品で、石牟礼さんは何を伝えたかったのか?謎解きです。是非、ご覧下さい。

沖縄を含む九州各県で放送されますが、熊本の放送は、13日(日)深夜 26:45~27:15 です。

各県の放送日時は

RKB 1月13日(日) 5:15
NBC 1月13日(日) 26:15
RKK 1月13日(日) 26:45
OBS 1月13日(日) 25:45
MRT 1月13日(日) 25:15
MBC 1月13日(日) 5:35
RBC 1月13日(日) 26:35

です。

 

 

 

祭囃子が聞こえる

ねぶたを初めて見たのは35年前の青森でした。八戸でのアルバイトの帰りに、ちょうど祭りとタイミングが合ったので見に行きました。その美しさ、規模の大きさ、そして参加している若者たち(ハネト)の楽しそうな様に圧倒された私は、それからしばらくは、ディスコでも片足で飛び跳ねていました(らっせらー♪)。

その後、テレビ番組でねぶたの制作過程などを見ては、ほぉーと唸っていたのですが、実際に再会したのは2年前の熊本城二の丸広場。熊本地震で被災した人たちを励まそうとやってきてくれた、ねぶたです。その翌年。そして、今年。欠かさず、行きます。行かずにはいられない。美しいものを見たいということもありますが、はるばる青森から来てくださっている心意気に応えないわけにはいかない。

今年も良かったです。暑さが心配でしたが、2日目は風がびゅーびゅー吹いていました(青森から?)。そして、見に来ている人たちの表情の変化を感じました。最初の年は、私でも胸にこみ上げてくるものがありました。見回すと、涙目で見つめている大勢の人がいました。それが、昨年、今年と、笑顔の人が増えたように思います。もちろん、地震から立ち直った人たちばかりではない。それでも、ねぶたには日々の辛さを忘れさせる力があるようです。

主催者のみなさま、ありがとうございます。ボランティアのみなさん、おつかれさまでした(台座を動かしていた鎮西高校サッカー部のみなさん、いい動きだったよ。サッカーも頑張ってね!)。

また、来年も来てもらいたいなぁ。

 

八戸には友人と2人で行ったのだが、現地から参加していた2~3歳年長の青年が、1週間のアルバイトが終わったあと、自宅に食事の招待をしてくれた。鮭の塩焼きを始めお母様が作ってくださった家庭料理はどれもこれもとびきり美味しくて、何杯もご飯をおかわりしたのだった。ご家族の中には、夏休みで東京の大学から帰省していたとても美しい妹さんがいた。帰りに、お礼状を書くために住所と電話番号を教えていただいたのだが、帰路、友人がそのメモをなくしてしまった。それで、お礼状は書けなかった。東京で妹さんに連絡することも叶わなかった。

祭囃子は、出来なかったこと、起こらなかったことへの悔恨を運んでくる。

 

 

 

 

GINの話から

行きつけのお店の主人からすごく美味しいジンを見つけたと聞いて、「やっぱり夏はジンがいいですね」と答えたのだが、なんで俺はそんなことを言うんだろうと改めて考えて思い至ったのは、矢沢永吉の「時間よ止まれ」だった。記憶のなかの歌詞は、こんなふう。

 

汗をかいたグラスの冷えたジンより

光る肌の香りが俺を酔わせる

思い出になる恋と西風が笑うけれど

このひとにかける

 

いいねぇ。

この曲は、不思議な曲だ。たしか、資生堂のCMにあわせてシングルが先行発売され、その後アルバム『ゴールド・ラッシュ』に収められたと記憶しているけど、アルバムのどの曲と比べても、それ以前以後の彼のほかのどの曲と比べても、この曲は声が違う。まったく力みがなく、シャウトもなく、淡々と歌っているんだけど、少し鼻にかかった声に甘さとほのかな苦味と透明感があって、まさに汗をかいたグラスの冷えたジンのような声だ。バックのミュージシャンもすごい面々。アレンジも素晴らしい。しかし、何にもまして、この声。

ただし、これはオリジナルのスタジオ録音だけの魅力で、矢沢さんのライブは生や映画やテレビでこれまで数々見てきたけれど、このクールな感じはライブでは再現できていないと思う。スタジオ盤は、ヴォーカルを加工しているんだろうか?風邪気味だったのか?

クルマの中でかけるといつも家族のブーングが起きるので別のCDに変えるのだが(うぅ涙)、私は何百回も聴いてきたから分かる。この曲は、唯一無比である。日本のロック史において。YAZAWA史において。

では、お聴きください。矢沢永吉さんで、「時間よ止まれ」。

議論好き

先日、居酒屋で4人で飲んだとき、私以外の3人はいずれも県外出身で、いま熊本で仕事をしている人たちだったのだが、「熊本の人ってどうですか?」というだれかの質問に奈良県出身のひとが「議論好きですよね」と言ったのだった。え?議論好き、ですか?うそ?と私は思ったのだが、ほかの2人も「そう、そう」と深くうなずいている。この2人は福岡県出身で、百キロくらいしか離れてないのに、まるで自分たちは祭っ子気質でさっぱりしているが、あんたたちはいつも愚にもつかん話を、あーでもないこーでもないとしよるっちゃん、という顔をしている。

熊本人が新しもの好きだとか、一方で保守的だとかは聞いたことあるが、議論好きとは、都合40数年ここで暮らすが、私は初めて聞いた。ほんとか?まるで、熊本の人っていつもスキップしてますよね!って言われたくらい意外だった。

で、そのひと言を受けてまた誰かが「といっても、解決には至らないんですけどね」と言って、また3人が深くうなずく。なるほど、話が見えてきた。つまり、議論のための議論をしている、と。酒場で、大声で、なんかぬしゃそらちがうばいと話している県民を見ると、議論好きだなと思うのでしょう。でもあれは、議論じゃなくて酒の肴なんですよ。だから、翌日はアルコールのように蒸発して何も残ってないんです。毎度、一からやり直しです。と言おうと思ったのだ、が。

いや待て。違うのか?ひょっとして、口先ばかりで実行が伴わないって言われているのか?う~ん。私自身は確かにそうだ。そうなのだが、みんなもそうなのか?・・議論しようと思ったが、議論好きだと思われてしまうので、やめた。

 

おつかれさまです。

わがアナウンス部にもインターンシップの学生(大学3年生)が来ていて、

きのうお昼を一緒に食べながら昔話をしたのだけれど、

僕のときは、RKKの就職試験は、大学4年の12月でした。

べつに2次募集とかそんなんじゃなくて、次年度入社のための試験。

で、大学4年の夏休みには帰省して海水浴に行ったり遊び呆けていて、

9月に帰京してからぼちぼち就活を始めたのでした。

なんというか、その牧歌的な時代を知っている世代としては、

いまの学生たちは可愛そうだなぁと思うのです。

大学は勉強するために行ってるんだから、思いっきり勉強させてやれよ、って。

 

たぶん中年社会人が10人いたら10人が(ちょっと言い過ぎか)、

「あぁ、若いときにもっとちゃんと勉強しとけばよかった」って思っているはずで、

ほんと、学生さんには、採用合格のためのノウハウよりもそのことを伝えたい。

こういうことです。

いま自分が学生だったらどうだろうと考えてみる。

大学4年の2学期まで遊び呆けるか?う~ん、むつかしい。結局は、世の大勢に流されるだろう。

いまだって、流されているんだし。

だから、勉強しとけばよかったって思うんです。流されないために。

 

昭和の人、なんで。

1966(昭和41)年ごろのはなしですが、

県庁西門通り、砂取小学校から水前寺競技場に至る道沿いに1軒、貸本屋があって、

ときどき漫画本を借りてました。

1冊10円とか15円じゃなかったかな。

チロルチョコレートが3ブロック(いまの3つぶん)で、10円だった時代です。

そんで、その数軒隣にお好み焼き屋があって、

借りたマンガを手に、時々行ってました。

お好み焼き(薄い、ちょぼ焼きて言ったほうがいいのかな?)1枚、2~30円くらいだったかな。

そのときは6~7歳なんだけど、

ひとりで行っていたというのが、いま思えば不思議。

まぁ、牧歌的な時代です。

なんでそんなことを思い出したかというと、

昨日、県立図書館で「貸本漫画の遺産」というテーマでシンポジウムがあったからです。

パネリストは、

梶尾真治さん、伊藤比呂美さん、橋本博さん

(右から)。

面白かった。

 

 

さすがに、年齢層は高かったです。

私は、若輩者です。

1966年というのは、

貸本マンガ屋の最終焉期らしくて、

ぎりぎり、貴重な体験をした、ということになります。

 

何を借りて読んでいたか思い出そうと思って、シンポジウムの後、くまもと文学・歴史館の展示会場に行きましたが、なんにも思い出せませんでした。

でも、いろんな発見がありましたよ。

つげ義春さんはじめ、いろんな漫画家の原画が展示してあるんですけど、

ほとんどの人が、若い頃の画は、その後のタッチ、キャラクターと全然違いました。

手塚さんくらいかな、はじめから画が確立しているのは。

こちらも面白かったです。

マンガ好きの方は、是非。