連日の猛暑日。 日本列島はもう溶けてしまいそうな毎日です。 一方南半球では、異常低温が続いているそうですね。 今日もプールの帰り道、車を運転しながら、もしかしたら地球に大きな変化が起こっているのかも知れない、地球を取り巻く気圧や、偏西風や、その他いろいろのものが、これまではある一定の法則で繰り返されていたものが、狂い始めているのでは・・・なんて、まるでSF映画にでも出てきそうなことを考えていました。 ところで10年ほど前にハワイから買ってきた、ハワイアンジンジャーが、去
年から咲き始めているのです。 去年は一本の茎にだけつぼみが来ましたが、今年は殆どの茎に花芽がつき、いま、毎日咲いているのです。 10年近く咲かなかった、このハワイアン・ジンジャーが、毎日白く清楚な花を咲かせ、香りを放っているのです。 特に朝早い時間が香りは強く、したがってこの番組放送中が、一番いい香りを放っているわけです。 そして不思議なことに去年まで、毎日毎日真っ赤な情熱的な花を咲かせていたハイビスカスが、今年はあまり咲かないのです。 6月末に2つ程花をつけ、先日久しぶりにまた花が咲き、次はまたちょっと間があきそうです。 これも異常気象のせいでしょうか???
カテゴリー別アーカイブ: 未分類
終戦記念日
な、なぜ?! 14日の放送終了後にはアップされるはずのブログがアップされてない! 今日月曜日発覚しました。 いや、ちゃんと土曜日に確認すればよかったものを、大丈夫!と思いこんでおりました。 今日一応念のためと思って開いてみたら…ガ、愕然としました。 番組の中でもあれだけ宣伝しておきながら、書き換えが出来てないなんて、すみません。
さて、15日は「終戦記念日」というより、日本は戦争に負けたんだ、戦争が終わったという意味ではないんだと、中学の時に先生から言われて「フ~ン」という程度でした。でも。よく考えてみたらその通り、敗戦の日なんですね。 その日とお盆が重なって、これまた複雑なんだけど、偶然というか、弔いの日、そして平和を確認する日が8月15日だと思うのです。
ところで今回のモンゴル便りは、モンゴル着の翌日、7月29日にウランバートルから北東に車を走らせたら、もうそこはゴミと不法住宅の密集した地域なんです。 行けども行けども急な斜面にへばりつくように建った家や、ゲルが立ち並んでおり、近年のウランバートルの人口増はこのあたりの、仕事を失った遊牧民が都市周辺に作った集落によるもののようです。 しかししばらく行くと、広大な敷地が広がり、そこには慰霊碑が建てられていました。 日本人墓地跡です。 極寒の地、モンゴルで強制労働に従事し死んでいった旧日本軍兵士などが葬られていた墓地は、現在厚生省(現在の厚生労働省)によって遺骨が収集され、この地に眠っているのです。 墓地中心にある慰霊碑に刻まれた「諸士よ 祖国日本は見事に復興しました。 モンゴルに安らかに眠って下さい。」という文字を見ながら、何のために、この極寒の地にまで来たんだろう。 という複雑な気持ちになり、胸が熱くなりました。 最近では少しづつ参拝者の
数も増えて入るそうですが、足を運んでいないたくさんの遺族の方も多いのではないかと思います。 どんな理由にせよ、戦争は絶対にしてはならない!と、強く思いました。 もし、モンゴルへ行く機会があったら、ぜひこの地へ足を運んで、手を合わせてほしいと強く思いました。
モンゴルでナニ食った?
さて、旅行で一番気になるのが食事。 私は、どこへ行ってもその土地のものを食べる主義ですが、これまでそんなに困ったことはありません。 でも、今回ゲルでの料理にはちょっと引いてしまいました。
別にゲテモノというわけではないのですが、やはり内臓料理はちょっと苦手ですのでね。 ま、モンゴルへ行ったらどんなものが食べられるかということは、楽しみではありました。 想像していたのは、中国料理とロシア料理をミックスしたようなもの?でした。
当たりでした。 まず芦北でやったモンゴル料理教室の献立の一つ「ボーズ」。着いた翌日の昼食は、「モンゴル・ボーズ」という看板のかかったボーズ屋さん。 皮はちょっと厚め、ですから中国の「パオズ(包子)」よりも一回り大きくしたようなものです。 もちろん肉は羊肉の細切れです。モンゴルには挽肉はないそうです。 細かく刻んで使うそうですので、時々骨のカケラも入っています。 それからその店で取った、玄米を焦がしたようなものが入っているスープ。 香ばしくておいしかったです。
またゲルに行く途中で食べた焼き餃子は印象的でした。何の変哲もない、というよりほん
とにここがレストラン?という感じの店内は、テーブルが一つだけの簡単な作り。 メニューも焼き餃子のみ。 ここの焼き餃子は薄く平べったく、でも中にはちゃんと羊肉が入っており、美味でした。
5日目の昼食は「ウクライナ料理」 ここではぺリメニ(ロシア料理の、まるで帽子みたいな可愛い水餃子)入りのボルシチみたいなスープもありました。 ただ、ここでは注文しようとした料理の半分近くが「今日はない!」と言われてしまったのですが、こんなところがモンゴルらしいという事でしょうか。
「ゲルを訪ねて◎千里・・・・」
《モンゴル便り》 今日は遊牧民モンゴル人の住居「ゲル」を訪ねました。
ウランバートルの雑踏の中を通りすぎると、もう周りは草原が広がります。行けども行けども続く大草原。 とはいいながらも場所によってその表情は違うのです。
さて、ランクルを駆り立てて2~3時間走ったところに目的のゲルがあしました。 熊本に民族音楽団を連れてきて、自ら司会をしてくれたアンハーのご家族が住んでいるゲルです。
私たちのために、前日潰してくれた羊2頭を料理してくれました。 すでに肉は食べやく適当な大きさにカットして、内臓は別にしてあり ます。 冬場は暖房にもなるストーブを外に出して、調理用に使っています。
燃料は乾燥させた牛の糞、これが臭くもなくよく燃えるんです。 あらかじめ石を焼いておき、鍋には肉と焼いた石、そしてジャガイモ、ニンジンなどの野菜を交互に入れ、塩、コショウで味付け。 最後に水を入れ、小麦粉を練って伸ばしたもので蓋をして蒸し焼きにします。
サ、いよいよ食べる時間が来ました。 意外と癖もなくみんな「おいしい、おいしい」と言って食べました。 私はバラ肉の部分を一塊 り。 この鍋に入ってるスープは、塩辛くてちょっと閉口しました。
野趣あふれる料理は、みんなの腹を満たしてくれま
した。 お酒を飲む前には必ず、こうやって天の神、地の神、そして自然の神に感謝します。
大自然の中での生活には、大自然への畏敬の念が生きています。
大自然と人間の関係を改めて知ることが出来ました。
ゲルって、不思議な空間
モンゴル便り、楽しんでいただいていますか? さて、今回のモンゴル訪問の大きな目的が、熊本での募金でモンゴルの貧しい人たちにゲル(遊牧民の移動式住居)を1軒プレゼントするというもの。 現地のNGOのメンバーに協力してもらって、山の中腹の不法住居地帯に入り込み、早速ゲルの組み立てが始まりました。
手馴れたスタッフが大勢いて、私たちは見学+手伝い。 モンゴルの人は、私たちが快適と思う家よりも、ゲルのほうが快適だそう。 組み立ては2時間ほどで終わり、早速中に入って馬乳茶を振舞われた。 「残してもいいから初めての人は決して全部飲まないように」と予め注意されていたので、お碗に半分ほど飲みました。 中に入ると極彩色の柱や天井などで全くの異空間。不思議な世界が広がります。 プレゼントしたのは、マンホール・チルドレンや、周辺にいる貧しい人たちをお世話している一家族。 ここのお母さんも実は子どもの頃、マンホール・チルドレンだったそうで、
捨て子まで家族の
一員として育ててるそうなんです。 貧困の構造はスパイラル状に広がっていくんですね。
モンゴル報告
さて、先週に引き続きモンゴル旅行の報告です。 何とサプライズがあったのです。 どんなサプライズって? 17日の放送でお話しますので、是非聴いて下さい。 ところでモンゴルの基礎知識をちょっとだけ。 日本との時差は意外と小さく1時間。 中国と一緒です。 そして現在のモンゴル国が出来たのは、1992年。 その前は社会主義国でしたが、自由主義国となって色々ひずみが出てきているようです。 今回の旅行の目的、モンゴルの貧しい人たちのために「ゲル」を1軒プレゼントしようというのも、貧富の差がとても大きく、国力もないので、NGOなどの組織が手を差し伸べているのです。 JICAの日本センターも頑張っていました。 モンゴルでは最近の雪害で遊牧民の家畜が沢山死に、生活できなくな
った遊牧民が首都のウランバートル周辺に集まってきて、寄り添う様に暮らしているのです。 子どもた
ちは家族の生活のために、近くのゴミ捨て場にいき、プラボトルなど少しでもお金になるものを集めて換金しているといった状態です。 衛生状態など非常に悪いのですが、湿気がないのであまり雑菌の繁殖がないらしく、意外ときれいにしてました。 でも氷点下30度から40度にもなる冬のモンゴルでは、寒さから逃れるために、親を失った子どもたちはマンホールを棲家にしているそうです。 国としてはとても貧しいのですが、人々の表情は明るく、元気な子どもたちが沢山いました。 今日はモンゴルを象徴するような写真を添付しておきます。
帰って来ました!
何て蒸し暑いんでしょう! こんな暑さはモンゴルにはありませんでした。 モンゴルに到着した28日は、雨が降った後で埃もおさまり、緑も洗われ空気は澄んで最高でした。 想像も出来ない異国へ足を踏み入れ、まず感じたのは、「意外と普通じゃないか!」ということ。 そりゃそうですよね、ウランバートルはなんてったってモンゴルの首都ですからね。 その日は、万博会場のようなビアホールで軽く食事。 それがモンゴルの旅の始まりでした。 翌日は朝から青空、気温が上がるにつれてポプラの綿毛が、まるで牡丹雪のようにフワフワと飛び回ります。 午前中はモンゴル政府庁舎前の「スフバートル広場」を中心に街中を散歩、足元に気をつけておかないと段差はあるわ、マンホールの蓋は撮れているわで用心、用心。 気温はTシャツだとチョット肌寒いくらい。 その日は「自然歴史博物館」へ行って、モンゴルの勉強です。 さて、いよいよこれからモンゴルの旅、どう展開するかお楽しみに!
写真は、モンゴル遊牧民の住まい「ゲル」で使用されるストーブ。夏はゲルから出して調理用に使用します。 私たちを歓迎する「羊料理」を調理しているところです。 空の青さ、山の稜線にかかる雲の形と色がいいですねぇ。
本日のゲストは中島ゆきこさん
スタッフ Ga~ちゃんです。
本日のスタジオゲストは、5月26日に新曲「望郷ホレホレ節」をリリースした、熊本県は長洲町出身の中島ゆきこさん!大きなポスターと共にスタジオに登場。とっても明るい方で楽しく収録は終了しました!
そんな明るい中島さんですが新曲「望郷ホレホレ節」はしっとり聞かせる曲です。
中島さんのHPには、
「ホレホレ節」とはハワイの日本人一世が生み出した労働歌。“ホレホレ” とは、さとうきびの枯れ葉を手作業で掻き落としていくことをいい、炎天下での “ホレホレ” の作業の中で、ともに励ましあい、力を合わせるために、また少しでも気を紛らわせるために、即興的にいろいろな歌詞をつけて歌われたものだそうです。日本人移民が米国で生み出したおそらく唯一の民謡で、特定の作詞者も作曲者もいない。移民の出身地であった広島、山口、熊本などの各地方民謡が混ざりあってできたものと言われ、今後の身の振り方についての思案やふるさとへの想いを歌いこんでいった共同体の歌である。
とありました。
「ホレホレ節」というタイトルだけでは、そんな想いがこめられた曲だとは思わなくて・・・。
中島ゆきこさんの「望郷ホレホレ節」・・もう一度聞いてみたくなりました。
いよいよで~す。
明日からモンゴルへ行ってきます。「朝青龍に会いに?」とみんな言いますが、そうではありません。 モンゴルの子どもたちにゲルを贈呈するために行くのです。
そして想像もつかないモンゴルという地をこの目で確かめて来たいんです。 もちろんモンゴルの大草原と、星空も楽しみです。 これまで大自然をあちこち見て来ましたが、阿蘇の大自然を見慣れている私にとっては、それほどびっくりするようなことがありませんでした。 メキシコのティオティワカンに行っても、マウイ島のキラウエアに登っても、阿蘇のどこかに似ているという感じでした。 さて、モンゴルではどう感じるか、楽しみです。 帰ってきたらまた詳しく報告しますね。 モンゴル出発前日、だいぶ大きくなったミニトマトとともに写真撮りました。(ちょっとピンボケ)
梅雨の合間に・・・。
お元気ですか~? 遂に梅雨に入った熊本を含む九州北部地方です。 それでも私は、先週の番組で言いましたように、休みの日には空を仰いでいるのです。 天気予報とにらめっこして、青空がいつごろまで続くか確認して、やっと先日50m屋外プールへ出かけました。 やはりまだ水は冷たく、800m泳いだ頃、指先がしびれてきました。 1000いけるかな?と思いながらも、よくしたものでだんだん身体は暖かくなり、気持ちよく、まずは1000m1本を泳ぐことが出来ました。 水の中はチョット冷たいので、プールから上がってチョット休憩。そしてそれから500を2本と、いつものメニューをこなせました。 屋内温水プールと違って気持ちのいいこと! 太陽が照るとプールの中はキラキラと輝き、人間やはり水の中に10ヶ月いたんだもんと、妙に納得してしまうのです。 梅雨前半は、しばらくはこんな天気が続きそうですので、休みの日は天気予報と空を眺めて過ごしているのです。 原武