福居万里子です。
休みを利用して帰省した、ふるさと長崎。
少し足をのばして訪れたのは、島原市・雲仙岳災害記念館です。
雲仙普賢岳で大火砕流が発生したのは平成3年。
当時わたしは4歳で、記憶はありません。
展示室には当時の様子が再現されています。
日常生活を奪われた「 ふるさと 」の姿に噴火災害の恐ろしさを感じる一方で、どうしても目に入るのが、マスコミの撮影機材でした。
テレビカメラ、三脚、仕事で見慣れているものばかりです。
火砕流に巻き込まれる直前まで記録していた、ある放送局のテレビカメラ。
復元されたテープの映像はノイズだらけです。
撮影していたカメラマンは、このときに亡くなっています。
当時の報道姿勢をめぐって様々な意見があることは、放送に携わる者として理解しているつもりです。
周りの見学者の方々はどんな気持ちでこのボロボロの撮影機材を見つめているだろう、考えただけで心臓がぎゅっと締められるような、何ともいえない気持ちになりました。
( 世界の火山を学ぶコーナーには阿蘇山も )
雲仙岳災害記念館がある「 がまだすドーム 」を出てからは、近くにある道の駅へ。
土石流で埋まってしまった家がそのまま残されています。
あの日から時間が止まったままの旧大野木場小学校も見てきました。
先月、阿蘇中岳の噴火警戒レベルが2になりました。
もちろん当時の雲仙普賢岳と現在の阿蘇中岳とでは、状況は全くちがいます。
それでも、島原で見た光景を思い出すと、「 もし・・・ 」と考えてしまうのです。
災害記念館で見た映像の中に「 当時、火砕流なんて言葉も知らなかった 」という主旨のインタビューがありました。
火山や噴火災害について、私が偉そうに言えることは何もありません。
しかし、正しい知識を身につけることが、人の命や生活、ふるさとを守ることにつながると思うのです。
必要以上に怖がらない、かといって油断もしない。
放送局の一員として、防災士として、熊本県民として、“ 知る ”ことが大切なのだと、改めて気を引き締めた長崎の旅でした。