福居万里子です。
先日の夕方Liveゲツキン!「 福居の気になる劇場 」では、熊本地震で崩落した阿蘇大橋の現状をお伝えしました。
2016年4月16日の本震で崩れた橋桁の一部は、切り立った崖に残されたまま。
県の担当者によると「 たまたま引っかかっただけで、このままだと谷底に落ちる可能性もゼロではない 」といいます。
( とはいえ かなりの重量の構造物ですから、よほどのことでもないと びくともしないそうですが・・・ )
熊本地震がいかに恐ろしいものだったか、人々に伝える【 震災遺構 】として後世に残すことになっています。
今回は、その保存工事が今月ようやく本格化したということで、その最前線を見せていただいたのです。
普段はバリケードが設置されていて近づくことはできません。
阿蘇地域振興局の案内で特別に中へ・・・
これまで立野側から何度も阿蘇大橋を見てきましたし、
河陽側のこの場所だって、バリケード越しではあるものの、初めて訪れたわけではありません。
リポーターというものは、見たもの・感じたものを即座に言葉で伝えなければなりません。
そう教わってきました。
でも、いざ 崩落ポイント に立つと・・・本当に、しばらく言葉が出てこなかったんです。
橋はアスファルト部分がしわくちゃになり、金属のジョイント部分から ごっそりと落ちています。
あれだけ大きな橋です。脆弱な造りであるはずがありません。
遠くから見るだけでは気づきませんでしたが、人々が手を触れていたであろう欄干や、道路照明灯もそのまま残っています。
「 怖い 」 「 信じられない 」
そんなシンプルな言葉を発するのが やっとでした。
震災遺構というのは、決して見ていて気持ちのいいものではありませんし、
いまだに直視できない人だっています。
実は この日、取材の合間に近くのお弁当屋さんで休憩していると、偶然、ある人に会いました。
阿蘇大橋の崩落に巻き込まれて亡くなったとみられる大和晃さんの父・卓也さんでした。
地震直後からRKKも取材させていただいているご縁で私も何度かお会いしていて、こちらに気づいて声をかけてくださったのです。
大和さんは会うと いつも「 ゲツキン!見てるよ 」と言ってくださいます。
今回、阿蘇大橋の取材をすると決めてからも、「 大和さんが放送を見たら 何て思うだろう 」と心に引っかかっていました。
私がこの日の取材内容を正直に話すと、卓也さんは「 そうだね、工事が始まったもんね 」といつも通り接してくださいましたが、心の内は分かりません。
立野側に設けられた見学所には、夏休み中とあって県外からの家族づれが多く訪れていました。
その会話に耳をすませてみると、
「 ここに橋があったんだけど、大きな地震があって壊れてね 」
「 亡くなった人もいるんだよ 」
お父さん や お母さんが、まだ小学校低学年くらいの子どもに言い聞かせていました。
熊本にはキラキラした楽しい場所は たくさんあるのに、家族の貴重な時間を、こうして熊本地震と向き合うことにも割いてくださっているのです。
熊本地震の爪痕を見て どう思うか
そもそも 見たいか、見たくないか
人によって違いますが、私は保存することはムダではないと信じ、見守りたいと思います