福居万里子です。
熊本地震 発生から8年。
日数にして2900日以上が経過しましたが、数字にしてみると実感がわきません。
このアナウンサーブログの中で 後生川アナウンサーが
“ 「 あっというまの8年 」なのか「 まだ8年 」なのか ” というような問いかけをしていました。
私自身は どちらなのだろう
熊本地震 発生の1年後にRKKに入社してからの自分の取材を振り返ってみました。
まず、ニュース原稿を書く専用の端末で
『 熊本地震 』、『 福居万里子 』で検索すると、200件ちかくの原稿が見つかりました。
最も古いものまで遡ると、その日付は2017年4月12日。
タイトルは、「 益城町の小学校で給食再開 」。
―― そう、そうでした。
熊本地震で被災した益城町の給食センターは、長い間 使えなくなりました。
2年生の子どもたちは入学してすぐに被災したため、
それまでに2日間しか給食の経験がなく、
被災してからの1年間は業者などが届けてくれる弁当などを食べました。
久しぶりの給食には、温かいクリームシチューと新鮮な果物などが並びました。
といっても、この日の給食も、町内でつくられたものではありませんでした。
被災した益城町の給食センターが再開するまでの間、熊本市や御船町の調理場から給食が届けられました。
―― そう、そう。
そして、これが私がRKKに入社して初めて取材し放送したニュースでもありました。
原稿を見返せば そのときの記憶が鮮明に蘇りましたが、検索してみるまで忘れていたような気もします。
これで “ 7年前 ” なのですから、
“ 8年 ” という月日は、それ以上のもの、ということでしょうか。
熊本地震が発生してから、RKKの前に務めていた福岡の放送局での勤務を含め、
毎年 熊本地震に関する取材を重ねてきました。
被災した図書館が再開するまでの道のり
青森からエールを届けようと、熊本でねぶたが跳ねた夜
被災者を無料で招き “ 心の復興 ” を願ったサーカス団
益城町の復興を見つめてきた野球少年
全線復活の日を目指し続けた南阿蘇鉄道
防災という視点で進められた新たな街づくり
そして この春は、
『 熊本城 宇土櫓の “ 今 ” 』
『 被災地の孤立化を想定した熊本の取り組み ~ 天草で地震が起きたら ~ 』
私自身の取材も『 復旧・復興 』から『 これからの防災・減災 』というものが多くなってきたように思います。
ことし1月に放送した報道特別番組『 スローなニュース 』で取材を受けてくださった、
熊本地震で家族を亡くした遺族の言葉が、今も頭から離れません。
“ かわいそう、で終わらせないで ”
“ 未来に、次に つながる放送を ”
『 節目の日 』は過ぎましたが、
災害からの復旧・復興、そして 防災・減災への備えに区切りは ありません。
―― 自分自身に言い聞かせる、8度目の春です。
そして、タイトルにもありますように 『 ごあいさつ 』 も――
第二子を授かり、もうすぐ出産予定です。
出産・育児のため、4月中旬をもって お休みをいただきます。
最後の最後まで取材・放送に携われたのは、家族や職場の仲間のサポートあってこそでした。
( RKKラジオ「 午後2時5分 一寸一服 」は 上岡アナウンサーにバトンタッチ )
( RKKラジオ「 アナぐらむ 」では “ お暇 ” をテーマに産休入りを報告 )
( RKKテレビ「 夕方Liveゲツキン! 」熊本地震 本震発生の日に出演・解説 )
ラジオで妊娠のことを報告したり、テレビで大きなお腹が映ったりするたびに
視聴者のみなさまから励ましのメッセージが届いていたとも聞いています。
本当にありがとうございます。
きっと無事に出産し、しっかりと家族に向き合い、
いっそう “ 母親目線 ” を養い、元気に戻ってきます。
それでは、いってきます!(^^)