月別アーカイブ: 2025年7月

“ 長崎の記憶 ” を 熊本 で 語り継ぐ

この仕事をはじめて14年目になります、福居万里子です。

先日、光栄なことに 自らの “ 仕事 ” について表彰していただきました。

 

【 JRN・JNN アノンシスト賞 】

全国にあるJRN・JNN系列局のアナウンサーを対象に、

ナレーションや実況、フリートークなどの技術を評価するコンテストです。

昨年度の1年間に放送したものの中から優れた作品を部門ごとに表彰します。

 

2024年度 アノンシスト賞 全国審査で

ラジオ「 読み・ナレーション 」部門で最優秀賞をいただきました。

 

心から嬉しく思うとともに、今回の受賞を報告したい方がいました。

熊本市 の 深堀弘泰( ふかほり・ひろやす )さん です。

直接 お目に かかったことは ありません。

2022年に96歳で亡くなりました。

先日、ご遺族のお許しをいただき、御仏前にご挨拶とご報告をしてきました。

 

今回 受賞したのは、去年12月に放送した「 アナぐらむ 」内での朗読でした。

長崎で被爆し、その後 熊本に移り住んだ深堀さんの証言からつくられた

紙芝居『 被爆体験記 長崎原爆救援列車 』を私の声でお届けしました。

日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのを機に、

私も長崎出身の被爆3世として、アナウンサーとして、

何かできないかと思い、企画したものでした。

 

原爆救援列車とは当時の国鉄の蒸気機関車で、

被爆直後に原子野と化した長崎市内と病院との間を何往復もし、負傷者を運びました。

ただ、その方々の多くは病院に着くまでの間に息を引き取ったといいます。

 

深堀さんは まさに この列車に乗り込み、救援にあたっていました。

その一方で、当時ご自身の家は爆心地のすぐ近くにあり、家族や親族を亡くしました。

このときの記憶を被爆証言として残し、熊本県被団協が紙芝居にしたのです。

 

( 救援列車の車輪はJR長与駅のロータリーで展示されています )

 

爆心地から3.5キロの場所で経験した恐怖

変わり果てた町や市民の姿を目の当たりにした衝撃

家族を亡くす悲しみ

放射能の影響で苦しみ亡くなっていく人を看取る悔しさ

 

深堀さんの記憶を追体験するような気持ちで読ませていただきましたが、

言葉を口にするだけでも非常につらいものがありました。

 

それでも、深堀さんの「 戸惑い 」や「 恐怖 」そして「 悲しみ 」と「 絶望 」を、

少しでもリスナーのみなさまに感じてもらえるよう、

私のふるさと・長崎の情景とこれまでに私が見聞きした被爆の実相を思い浮かべながら

ひとつひとつの言葉に感情をのせました。

 

感情をのせるために・・・細かい話をしますと、

たとえば “ 読み下す ” とか “ 鼻濁音 ” など、

ナレーションの基本とされる部分を無視して表現したところもありました。

 

それでも今回このようにして審査員のみなさまに認めていただけたこと、

そして何よりリスナーのみなさんや遺族の方々の心に届いたことは、

放送に向き合う自らの姿勢に対し背中を押していただけたような気持ちです。

 

 

( 熊本県被団協のみなさんも受賞を喜んでくださいました )

 

審査の過程で「 講評 」も届くのですが、つぎのような激励をいただきました。

 

“ これからも さらなる戦争体験の継承に 期待する ”

 

いま私たちRKKは戦争体験の募集と掲載、その音声化を進めています。

 

RKK特別サイト『 私たちが知らない 戦争 を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

被爆体験記を遺してくださった深堀さん や ご遺族、

そして 今回の受賞に恥じぬよう、ひとつひとつ 心を込めて 努めてまいります。

豪雨から5年 ~ 家族で訪ねる人吉・球磨村 ~

我が家は ほぼ毎週 休日は家族で県内各地をドライブします。

人吉・球磨地域に行くことも しばしば で、そのたびに球磨川の美しさに感動!

HASSENBAのテラスでは川下りの船越しに球磨川を眺めることができます。

人吉を象徴する景色で、私は大好きです。

 

一方で、街なかの電柱には過去の水害の記録と教訓が伝えられていて、

“ 忘れないで、球磨川 の もうひとつの顔 ” という言葉に はっとしました。

 

県南で過ごす時間は 純粋に楽しいのは もちろん ですが、

訪れるたびに自然の恐ろしさを思い出しますし、

橋や道路の復旧状況などを見て “ 復興の現在地 ” を知る機会になります。

 

球磨川沿いを走ると、護岸工事などの影響で 何度も う回路に誘導されます。

不便さを感じる一方で、新しい橋梁の工事現場に遭遇すると、

こうしたことも復興への大切なステップなのだと実感します。

 

そして、このブログでは たびたび綴っていますが、

私は鉄道ファンの家系で生まれ育ったので、どうしても肥薩線が気になってしまいます。

 

ねじれるように変形した線路 や 雑草に覆われた踏切。

肥薩線だけは、5年前の “ あの日 ” から、時が止まったまま です。

 

ただ、今回 初めて気づいたことがありました。

 

球磨村にある『 那良口( ならぐち )駅 』は いわゆる “ 無人駅 ” で、

肥薩線の復旧にあたっては 廃駅 になる方針だと伝えられています。

その那良口駅をぼんやりと対岸から眺めていたところ、

駅のホームにプランターがいくつか並んでいて、その中で花が咲いているのが見えました。

現在、那良口駅に列車が来ることはありません。

つまり、利用者もいないはずなんです。

JR九州 熊本支社の話では、

この駅の “ 名誉駅長 ” である女性が、ずっと世話をし続けているのだとか。

 

それを聞いて、胸が詰まりました。

 

被災地には、私が知らない、気づいていない景色と、

それに関わり、守る人たちがいて、たくさんの “ 物語 ” が あるのだと。

 

熊本市内から県南へむかうとき、高速道路を使うことが多くなると思うのですが、

もし時間が許すのなら、球磨川沿いをゆっくりと走ってみてほしいです。

 

( 球磨村・球泉洞で涼しいひと時を過ごすのもオススメ! )

 

それから――

いつもなら日帰りのところを、

豪雨から5年となる今回は、宿を予約して人吉に一泊することに!

“ 夜の空気 ” を感じてみたかったからです。

 

夕食には球磨川水系の支流のひとつ・胸川沿いに立つ店に入りました。

5年前の豪雨では「 球磨川 」がどうしても注目されますが、

実際には その支流こそが先に水があふれるなどして被害が拡大しました。

胸川も濁流となり、当時この店も被災していて、

また、5年前だけでなく それ以前にも川の恐ろしさを経験したそうです。

 

それでも この場所で店をつづける理由は――

直接お話を伺う機会こそありませんでしたが、

窓から見える川の流れや豊かな緑、心地よい鳥や虫の声といった魅力的な空気を感じれば、

理解できるような気がしました。

 

( アユの塩焼き、きじ刺し・・・どれも絶品です )

 

お腹を満たした後は、人吉の中心市街地を散策。

青井阿蘇神社はライトアップされていて、昼間とは違った雰囲気に。

 

JR人吉駅や鍛冶屋町通りでは人吉が舞台の『 夏目友人帳 』の影絵を鑑賞。

 

( 大学生のころから作品のファンなんです・・・! )

これらは【 人吉ひかりの復興プロジェクト 】といって、

光のチカラによって人と人とをつなぎ、人吉の魅力を磨き、

夜間の周遊を促そうというプロジェクトです。

 

夜に訪れた人吉の街は、飲食店がにぎわう声、散歩しながら交わされる会話、

そして 虫の声や川の水の音が交錯し、昼間とは少しちがう雰囲気でした。

 

あれだけ恐ろしいことが起こっても 多くの人が球磨川を憎んだり離れたりしないのは、
この場所での暮らしや文化、歴史が、いつの時代も 球磨川と ともに あったからなのでしょう。

 

人吉に泊まった翌日は、錦町 や あさぎり町、多良木町にも足を伸ばし、

球磨川と、その流域の街、いろんな表情を見ることができました。

 

ペンやカメラを持って “ 取材 ” で訪れるのと、

幼い息子と手をつなぎ ゆっくりと歩くのでは、

見えてくること、感じること、それぞれ違う “ 気づき ” が ありました。

これからも いろんな視点で 県内を見つめつづけようと思った旅でした。

豪雨から5年 ~ 八代市・坂本町での取材 ~

県南部を中心に甚大な被害がでた『 令和2年7月豪雨 』から5年が経ちました。

ことしの『 7月4日 』は、八代市 坂本町で過ごしました。

行き帰りの道中では、何台もの災害復旧車両や重機などとすれ違いました。

 

5年経ちましたが、復旧・復興は まだまだ です。

 

私には、坂本町に “ 会いたい人たち ” が いました。

 

大塚 松美さん と 前坂 通さん。

ふたりは、地元のみなさんでつくる店【 食処 さかもと 鮎やな 】のメンバーです。

球磨川でとれた鮎を使い、町の女性たちが腕をふるってつくる料理が人気でした。

 

店は豪雨で被災しましたが、道の駅のそばにつくられた復興商店街で復活。

私は2022年の夏に取材で訪れ、塩焼き に 唐揚げ、甘露煮・・・

 

それは もう お腹いっぱい に していただきました。

接客する みなさんの笑顔は輝いていて、

でも、テレビカメラを向けると 恥ずかしがって控えめになって・・・

そんな親しみやすい雰囲気に、たちまちファンになりました。

 

しかし、店周辺の かさ上げ が必要になり、ことし2月に再び休業に。

それからは 熊本市の商業施設で出張販売をするなど、

休みの間も 町の “ 元気印 ” として坂本町をアピールしたいと意気込んでいます。

 

この日 現場を訪れると、すでに更地になっていて、重機の音だけが響いていました。

店は、2年後の夏に再開することが決まっています。

しかし、その “ 2年 ” は、鮎やな の みなさんにとって決して短くありません。

店はシニア世代が中心となって立ち上げたもので、ほとんどが今では70歳以上です。

この2年の間に、体調面や暮らしなど・・・不安が多いといいます。

「 また みんなで、笑顔で会いたい 」

出張販売でお会いしたときには弾ける笑顔を見せてくださっていましたが、

更地になった場所と球磨川を見つめながら話す おふたりの顔には、いろんな感情が伺えました。

 

もうひとり 会いたい人がいました。

球磨川沿いで【 球磨川温泉 鶴之湯旅館 】を営む 土山 大典さん です。

旅館の佇まい や 窓から望む球磨川の景色は 本当に素晴らしく、ファンが多くいます。

 

 

鶴之湯旅館も、豪雨で被災し 一度は営業再開したのですが、

鮎やな と同じように かさ上げ が必要になり、休業中。

もともとは 豪雨から5年となる まさに この日に再開するはずでしたが、

昔ながらの構造を維持しながらの工事は予想以上に難しく、叶いませんでした。

ことしの秋には 必ず再開させたい! と意気込む土山さん。

再開を信じて すでに入っているという “ 宿泊予約 ” が背中を押します。

 

鮎やな の みなさん も、土山さん も、共通しているのは

『 待ってくれている人が いるから、頑張れる 』ということです。

私たちの取材クルーに対しても『 来てくれて うれしい 』と歓迎してくださいました。

その言葉・気持ちに報いるためにも、

私は これからも 坂本町をはじめとする さまざまな場所を取材し、伝え続けます。

 

そして――

“ 取材 ” ではなく、家族で旅する中でも 『 被災地 の “ 今 ”  』が見えてきました。

つぎの投稿で綴ります。

ゲツキンデビュー!

こんにちは!

RKK新人アナウンサーの丸山丈瑠です🔥

 

入社して早3か月がたち、ニュースからスポーツ取材までいろんな業務に取り組んでいます。

最近、特に印象に残っているのはゲツキンのスポーツキャスターデビュー!

この日は自分が取材した高校野球の特集もあって非常にバタバタした一日でしたが

オンエアが終わるまでは一瞬だったのであまり記憶がありません🤷‍♂️

しかし、ロアッソがなかなか勝ち切れない中の締めコメントで「欲しい一勝が欲しいところです!!」と勝利に貪欲すぎるコメントをしてしまったのだけは覚えています…笑

 

外の取材も増えてきて毎日汗だらだらなのですが、そんなときには…

日本が誇る素晴らしい文化、”温泉”ですよね♨️

私は主な移動手段がチャリチャリなのですが、奇跡的に車を持っている友人が近くにいるので

彼と県内の温泉を巡るのが最近のブームです!

お風呂上がりのらくのうマザーズが最高なんですよね~~~🥛

全種類飲みましたが、僕は王道のいちごミルクが一番大好きです!

 

今年は、県内の北から南まで広い範囲を湯巡りします🚗

『 人生は よろこばせごっこ 』

熊本市現代美術館の「 やなせたかし展 」が、ついに閉幕しました。

なんと・・・会期中には5万7千人を超えるお客さまが来てくださいました!

ありがとうございました!!!

やなせさんの言葉を時間をかけて読みこむ人

弟への想い や 平和への願いに触れ、涙する人

原画の美しさを目に焼き付けようと作品の前に佇む人

そして、絵本を手にとって 子どもに読み聞かせる人・・・

 

本当に、世代を問わず愛された展覧会でした。

 

やなせさんの人柄は、会場でみなさんが感じられた通りです。

それだけに、関連イベントでも やなせさんの優しさが伝染したような、

温かい空気に包まれることが本当に多かったです。

( 朗読会に来てくださった みなさま と )

 

そして、イベントやコンサート、ラジオの特別番組など

何度も朗読させていただいた 絵本『 やさしいライオン 』。

この作品は、私の生涯における “ 宝物 ” になりました。

開幕前は表紙を見ただけで物語を思い出し涙ぐんでしまって・・・

泣かずに読み遂げられるだろうかと不安でしたが、

何度も何度も練習して、何度もみなさんに聴いていただけたことで

せつない物語に ただただ涙するのでなく、

やなせさんが伝えたかったという “ 愛と勇気 ” を感じながら

温かい気持ちで作品に向き合えるようになっていました。

( 物語の世界観を音楽で表現してくださった 正源司さん・兼武さん )

 

アンバサダー活動を通じ、会場にいらした たくさんのみなさまと

素敵な時間を共有できたことを、心から幸せに思います。

( いっしょに広報活動をした(?)息子たち! )

 

やなせさんが遺した作品や言葉は、私たちの心に生き続けます。

みなさまとやなせさんの熊本での “ 出会い ” が、

この先ずっと みなさまの心を温かく照らしつづけますように。

“ ひとは ひとを よろこばせることが いちばん うれしい ”

“ 人生は よろこばせごっこ だよ ”

ご来場ありがとうございました!