我が家は ほぼ毎週 休日は家族で県内各地をドライブします。
人吉・球磨地域に行くことも しばしば で、そのたびに球磨川の美しさに感動!
HASSENBAのテラスでは川下りの船越しに球磨川を眺めることができます。
人吉を象徴する景色で、私は大好きです。
一方で、街なかの電柱には過去の水害の記録と教訓が伝えられていて、
“ 忘れないで、球磨川 の もうひとつの顔 ” という言葉に はっとしました。
県南で過ごす時間は 純粋に楽しいのは もちろん ですが、
訪れるたびに自然の恐ろしさを思い出しますし、
橋や道路の復旧状況などを見て “ 復興の現在地 ” を知る機会になります。
球磨川沿いを走ると、護岸工事などの影響で 何度も う回路に誘導されます。
不便さを感じる一方で、新しい橋梁の工事現場に遭遇すると、
こうしたことも復興への大切なステップなのだと実感します。
そして、このブログでは たびたび綴っていますが、
私は鉄道ファンの家系で生まれ育ったので、どうしても肥薩線が気になってしまいます。
ねじれるように変形した線路 や 雑草に覆われた踏切。
肥薩線だけは、5年前の “ あの日 ” から、時が止まったまま です。
ただ、今回 初めて気づいたことがありました。
球磨村にある『 那良口( ならぐち )駅 』は いわゆる “ 無人駅 ” で、
肥薩線の復旧にあたっては 廃駅 になる方針だと伝えられています。
その那良口駅をぼんやりと対岸から眺めていたところ、
駅のホームにプランターがいくつか並んでいて、その中で花が咲いているのが見えました。
現在、那良口駅に列車が来ることはありません。
つまり、利用者もいないはずなんです。
JR九州 熊本支社の話では、
この駅の “ 名誉駅長 ” である女性が、ずっと世話をし続けているのだとか。
それを聞いて、胸が詰まりました。
被災地には、私が知らない、気づいていない景色と、
それに関わり、守る人たちがいて、たくさんの “ 物語 ” が あるのだと。
熊本市内から県南へむかうとき、高速道路を使うことが多くなると思うのですが、
もし時間が許すのなら、球磨川沿いをゆっくりと走ってみてほしいです。
( 球磨村・球泉洞で涼しいひと時を過ごすのもオススメ! )
それから――
いつもなら日帰りのところを、
豪雨から5年となる今回は、宿を予約して人吉に一泊することに!
“ 夜の空気 ” を感じてみたかったからです。
夕食には球磨川水系の支流のひとつ・胸川沿いに立つ店に入りました。
5年前の豪雨では「 球磨川 」がどうしても注目されますが、
実際には その支流こそが先に水があふれるなどして被害が拡大しました。
胸川も濁流となり、当時この店も被災していて、
また、5年前だけでなく それ以前にも川の恐ろしさを経験したそうです。
それでも この場所で店をつづける理由は――
直接お話を伺う機会こそありませんでしたが、
窓から見える川の流れや豊かな緑、心地よい鳥や虫の声といった魅力的な空気を感じれば、
理解できるような気がしました。
( アユの塩焼き、きじ刺し・・・どれも絶品です )
お腹を満たした後は、人吉の中心市街地を散策。
青井阿蘇神社はライトアップされていて、昼間とは違った雰囲気に。
JR人吉駅や鍛冶屋町通りでは人吉が舞台の『 夏目友人帳 』の影絵を鑑賞。
( 大学生のころから作品のファンなんです・・・! )
これらは【 人吉ひかりの復興プロジェクト 】といって、
光のチカラによって人と人とをつなぎ、人吉の魅力を磨き、
夜間の周遊を促そうというプロジェクトです。
夜に訪れた人吉の街は、飲食店がにぎわう声、散歩しながら交わされる会話、
そして 虫の声や川の水の音が交錯し、昼間とは少しちがう雰囲気でした。
あれだけ恐ろしいことが起こっても 多くの人が球磨川を憎んだり離れたりしないのは、
この場所での暮らしや文化、歴史が、いつの時代も 球磨川と ともに あったからなのでしょう。
人吉に泊まった翌日は、錦町 や あさぎり町、多良木町にも足を伸ばし、
球磨川と、その流域の街、いろんな表情を見ることができました。
ペンやカメラを持って “ 取材 ” で訪れるのと、
幼い息子と手をつなぎ ゆっくりと歩くのでは、
見えてくること、感じること、それぞれ違う “ 気づき ” が ありました。
これからも いろんな視点で 県内を見つめつづけようと思った旅でした。