福居万里子です。
熊本県各地に記録的な大雨が降り、災害が発生してから2か月が経とうとしています。
今回の水害は、熊本県内だけでも東西南北の広い地域に被害がでました。
それだけに、私が実際に足を運ぶことができているのも 被災地のごく一部でしかありません。
私が最初に取材に入ったのは、八代市興善寺町でした。
大雨によって山から流れ出た土砂が地区全体を覆い、
町の原型が全く分からないほどに大小さまざまな岩や泥が堆積していました。
車どころか、人が歩くのもままならないような状況の中、
被災したみなさんは私たちの取材に応じてくださり、当時の状況や今の暮らしについて教えてくださいました。
八代市内では2か月が経とうとする今もボランティアのみなさんによる作業が続いていて、
少しずつ復旧を進めています。
地区の小学校も取材させていただきました。
岡町の龍峯(りゅうほう)小学校です。
土砂だけでなく周囲の住宅から流れ込んだ家電製品や生活の品、ガラス片などが大量に流れ込み、校庭や運動場は使えなくなりました。
被災直後に校長先生が取材に応じてくださり、
「 “ 学校が大好き ”と言ってくれる子どもたちのために、何とかしたい 」と涙ながらに話す姿に胸をうたれました。
龍峯小学校には、長い間 大切に育てている藤棚があります。
春になるとたくさんの花をつけ、地域の人を招いて 藤棚の下で給食をとるのが伝統です。
土砂は藤棚の場所にも流れ込み、藤の根が呼吸しづらい状態になっていたため、
児童の保護者や地域の消防団、県内外からのボランティアが丁寧に泥をかきだす場面もありました。
その様子を見守るかのように 季節外れの花が咲いていたのも、忘れられません。
被災した影響で2学期の開始が1週間遅れたものの、
地区のみなさんや卒業生、ボランティアの方々の協力あって、
現在は子どもたちが元気に登校しています。
氷川町で取材に応じてくださったのは、ミニトマトを栽培している宮崎修太さんです。
宮崎さんが栽培する色とりどりの美しいミニトマトは “ 宝石のようだ ” と、ギフトとしても人気でした。
しかし、今回の豪雨で畑や植えたばかりの苗が水に浸かり、今後の生育が心配でした。
しかし、宮崎さんから出た言葉は『 あきらめていないですよ 』。
ほかの農家の仲間と情報共有し、知恵を出し合い、収穫・出荷に向けて前を見ています。
そんな宮崎さんの決意に応えるように、ミニトマトは一生懸命に根を伸ばし続けていました。
“ 取材 ”では八代を中心とした県南地域をまわった一方で、
休日にボランティア活動に参加しようと伺ったのが、上天草市・松島町です。
この日は ほんの少しの時間しか活動できなかったのですが、
現地に向かう道中 や 活動させていただいた住宅、
そして ボランティアセンターで話を伺った中で天草エリアの被害の深刻さを感じました。
( 復旧を手伝わせていただいた家の方がイチジクをくださいました )
私が今回 被災地で話を聞く中で感じているのは、
興善寺町でも、氷川町でも、天草でも、そして 熊本市内でも、
みなさん「 うちは まだマシなほうだから、大丈夫よ 」と仰ることへのもどかしさです。
大丈夫なはずはないのに、他の地域へ心を寄せる姿に胸が詰まります。
被災から2か月が経とうとしていますが、
この2か月の間にも日本各地で線状降水帯や竜巻などの自然災害が多発していて、
どこに目を向ければいいのか、私自身 戸惑うことがあります。
だからこそ、自分が訪れたり、ニュースでお伝えしたりして ご縁ができたみなさん、
そして これから先 出会うみなさんの、復旧する姿を最後まで見届けたいと思います。
熊本に来て9年。
地震や豪雨災害から立ち上がり、復興を果たした人たちを見てきました。
今回の災害も、必ず、復旧・復興しましょう。