新年度!

4月になりました!あっというまに入社7年目です。

今年度も、担当番組や担当曜日が少し変わりました。

 

まずはRKKテレビ平日午後6時15分からお送りしている

『NEWSゲツキン』

番組の顔 青谷さんのとなりで

月曜から木曜までキャスターを務めます。

テレビニュースに携わる時間が長くなります。

現場に出て、たくさん取材をして、学びを深めて、

分かりやすくニュースをお届けできるよう、精進いたします!

 

そして、昨年度から担当している

RKKラジオ平日午前9時から3時間の生ワイド番組!

『とんでるワイド 大田黒浩一の今日も元気!』

福居さんからバトンを受け取り、水曜日に引っ越しました。

水曜日ならではのコーナーもあるので、

早く”とんでる水曜日”に対応できるよう(笑)がんばります!

 

そして、これまで私が担当していた金曜日は・・・

渡辺舞音アナが担当します🌸

去年11月に入社したばかりで、

まだまだキャラクターなど明らかになっていない部分も多いと思いますが、

とんでるワイドで徐々に”渡辺アナらしさ”が出てくるかと思います!!

どうぞよろしくお願いします♩

 

ナレーションも担当します。

毎週土曜午後6時50分~『ソラクマ』

四季折々の表情を見せる県内各地の様子を

空からドローンで撮影した映像を中心にお届けします。

初回は、あす4月4日(土)!

30分前倒しで午後6時20分からお送りします。

美しい桜の映像です。

 

以上、今年度もテレビにラジオに!

どうそよろしくお願いいたします!!

春がきました!

春と聞いて、思い浮かぶことは何でしょうか?

 

サクラ、入学、新生活などいろいろとあるかと思いますが、

想像するだけでワクワクするものが多いですね。

 

私はこちらも楽しみにしていました!!

熊本に『球春』がやってきました!🌸

先週土曜、独立プロ野球 九州アジアリーグが開幕!

RKKラジオでは、火の国サラマンダーズの開幕戦を

リブワーク藤崎台球場から実況生中継でお伝えしました!

解説は、火の国サラマンダーズGMの馬原孝浩さん

ゲストは井手らっきょさん

そして、今回はW実況!

木村和也アナウンサーと私、後生川でお伝えしました。

『W実況』というのは、RKKラジオとしても初の試みだったようで…

ベストな形をどこに見出すのか、多くの人に意見をもらいながら、

大先輩・木村アナの背中を追いかけながら

そして、馬原さん、井手さん、スコアラーの辻さんにたくさん助けてもらいながら

新たな挑戦をしてみました。

 

すでにメッセージを送ってくださった方もいらっしゃいますが、

ぜひいろいろなところで、放送の感想をお聞かせいただけるとありがたいです!

そして、W実況だけでなく、

私にとっては野球を1試合まるごと実況するというのも、初めての経験でした。

どれだけ準備をしても不安はぬぐえませんでしたが、

野球に、火の国サラマンダーズに、とにかく向き合った日々でした。

RKK NEWS DIGでは、準備の様子も配信しています。

よかったら、覗いてみてください。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rkk/2514022?display=1

そして、開幕戦の結果はこちら♪

 

新戦力13人が加わった火の国サラマンダーズ!

開幕戦は、4-2で勝利!翌日も2-1で勝利!

リーグ連覇、日本一に向けて好発進です!

盛りだくさんの2月!

題名のとおり、今年も

イベントに特別番組に

盛りだくさんの2月となっています~

 

まずは、番組のお知らせです!

先日開催された『吉本新喜劇inくまもと2026』

テレビ放送があります♩

なんとなんと、私も出演させていただきまして…貴重な経験となりました。

自分の舞台上での様子を見るのは、このテレビ放送が初めてになるので

少し緊張します(笑)

あす午後8時からです!たくさん笑って楽しみましょう~~

 

ここからは、イベントなど振り返っていきます!

まずは2月8日(日)のRKKラジオフェス!

早春の大運動会!たのしかったです。

 

私は『よかばいチーム』で

キャプテンの福居アナ・田名網アナ・坂本アナと一緒にがんばりました!!

最後はキャプテン同士のじゃんけんで勝敗が決まるという…

なんとも”とんでるワイドらしい”運動会だったなぁと感じました♩

 

たくさんのリスナーのみなさんにお越しいただきまして、

本当にありがとうございました!!お会いできてうれしかったです!

 

そして、ラジオフェスの夜は衆院選。

ぐいっと選挙モードに切り替えました!(笑)

Nスタコメンテーターの堤伸輔さん、

青谷さんとともにお送りしました。

急転直下の解散、異例の短期決戦となった今回の衆院選。

番組では、熊本選挙区について詳しくお伝えしました。

 

つづいては、2月11日(水)のRKK女子駅伝競走大会!

今年も生中継でレースの模様をお伝えしました。

おなじみの増田明美さん、川上優子さんと一緒に

実況・田名網アナ、進行・後生川でお伝えしました。

今年にもにぎやかに、楽しい放送となったのではないでしょうか…♩

 

事前に注目チームを取材させてもらいまして…

合志楓の森小学校の教員チームのみなさんです!!

二宮金次郎にひょっとこに…毎年ユニークなコスチュームで出場してくださっています。

↑ぜひご覧ください

 

そして、当日のリポートは坂本アナでした❥

ランナーのみなさんの楽しそうな様子を見るだけで、こちらまでうれしくなりました~

また来年もたのしい大会になりますように!

 

最後に、2月15日(日)は熊本城マラソン!

3時間半にわたり生中継でレースの模様をお伝えしました。

私は、スタート・フィニッシュ地点の実況を担当しました。

初めてのポジションで不安もワクワクもありつつ…という感じだったのですが、

ランナーのみなさんの息遣いも感じられるほど間近に立ち、

その様子をお伝えできたのは、本当に貴重な経験となりました。

スタート地点ではたくさん手を振ってくださり、ありがとうございました♪

去年、3年前と、フルマラソンに出場したので、

「今年は走らないの!?」とたくさん聞いていただきました。

またいつか機会があれば・・・がんばります!(笑)

 

ランナーのみなさん、応援した方、

そしてボランティアのみなさん、本当にお疲れさまでした♪

 

怒涛のスケジュールで進んでいる2月。

あっというまに、外は春の空気になっていますね。

もうすぐ、桜が咲く季節!たのしみです♩

またブログ更新します~~

なんと 吉本新喜劇に!!

2026年が始まって

あっというまに2週間が経ちました。

 

年末年始のまったりモードからいきなりの通常モードで

疲れがたまっている…という方!

たくさん笑ってリフレッシュするのはどうでしょうか!?

 

今度の日曜日、1月18日に

『吉本新喜劇 inくまもと2026』が

市民会館シアーズホーム夢ホールで開催されます!!

酒井藍座長をはじめ、新喜劇もネタ出演の方々も

とっても豪華なみなさんが熊本に集結されます!

 

高校時代、大阪に修学旅行に行った私は、

なんばグランド花月で吉本新喜劇を生で見て、

その面白さに感動したのを今でも覚えています。

 

その憧れの吉本新喜劇に!なんとなんと・・・

出演させていただけることになりました!!!

貴重な機会をありがとうございます!!

安井さんからは「とにかくがんばれ」とのお言葉をいただきました(笑)

 

RKKの担当者によると、

チケットに余裕のある15:30からの公演がおすすめだそう!

 

ぜひ一緒に!思いっきり笑って楽しみましょう!

日曜日は 市民会館シアーズホーム夢ホールでお待ちしています♪

1月4日はスキンズマッチ!

今年も残すところ

今日を含めてあと2日です。

いつのまに!?といった感じで…

毎年毎年、時間がたつのが早すぎますね。

 

新年の特別番組のお知らせです。

1月4日(日)午後1時から

『第6回 RKK女子ゴルフスキンズマッチ』

毎年恒例の正月特番です!

今年も豪華なプロのみなさんが集まってくれました~!!

南関町出身の大里桃子プロ!

玉名市出身でツアールーキーながら初優勝を遂げた荒木優奈プロ!

そして、宮崎出身の永峰咲希プロに…

2回目の参戦!福岡出身の後藤未有プロ の4人で

ツアーさながらの真剣勝負が繰り広げられました!

 

会場は、こちらも恒例のコスギリゾート阿蘇ハイランドゴルフコース♪

収録日の特別ランチプレートが…いつも美味しすぎます。

<解説の平瀬真由美プロと一緒に♪>

 

毎年この阿蘇ハイランドゴルフコースで特番収録をしていることから、

今年9月に、この場所でゴルフデビューを果たした後生川です。

 

ゴルフデビューまでの道のりは、

RKK NEWS DIGで記事になっています!

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rkk/2186178?display=1

ぜひご覧ください♪

 

ゴルフデビューを果たして臨むスキンズマッチの収録は

例年とは少し違った景色に見えました。

手に汗握る…

数々のドラマが今年も生まれました!!

 

1月4日(日)午後1時から

ぜひご覧ください!!!

“ 記録的大雨 ” から 2か月

福居万里子です。

熊本県各地に記録的な大雨が降り、災害が発生してから2か月が経とうとしています。

今回の水害は、熊本県内だけでも東西南北の広い地域に被害がでました。

それだけに、私が実際に足を運ぶことができているのも 被災地のごく一部でしかありません。

 

私が最初に取材に入ったのは、八代市興善寺町でした。

大雨によって山から流れ出た土砂が地区全体を覆い、

町の原型が全く分からないほどに大小さまざまな岩や泥が堆積していました。

車どころか、人が歩くのもままならないような状況の中、

被災したみなさんは私たちの取材に応じてくださり、当時の状況や今の暮らしについて教えてくださいました。

八代市内では2か月が経とうとする今もボランティアのみなさんによる作業が続いていて、

少しずつ復旧を進めています。

 

地区の小学校も取材させていただきました。

岡町の龍峯(りゅうほう)小学校です。

土砂だけでなく周囲の住宅から流れ込んだ家電製品や生活の品、ガラス片などが大量に流れ込み、校庭や運動場は使えなくなりました。

被災直後に校長先生が取材に応じてくださり、

「 “ 学校が大好き ”と言ってくれる子どもたちのために、何とかしたい 」と涙ながらに話す姿に胸をうたれました。

 

龍峯小学校には、長い間 大切に育てている藤棚があります。

春になるとたくさんの花をつけ、地域の人を招いて 藤棚の下で給食をとるのが伝統です。

土砂は藤棚の場所にも流れ込み、藤の根が呼吸しづらい状態になっていたため、

児童の保護者や地域の消防団、県内外からのボランティアが丁寧に泥をかきだす場面もありました。

その様子を見守るかのように 季節外れの花が咲いていたのも、忘れられません。

 

被災した影響で2学期の開始が1週間遅れたものの、

地区のみなさんや卒業生、ボランティアの方々の協力あって、

現在は子どもたちが元気に登校しています。

 

氷川町で取材に応じてくださったのは、ミニトマトを栽培している宮崎修太さんです。

宮崎さんが栽培する色とりどりの美しいミニトマトは “ 宝石のようだ ” と、ギフトとしても人気でした。

 

しかし、今回の豪雨で畑や植えたばかりの苗が水に浸かり、今後の生育が心配でした。

しかし、宮崎さんから出た言葉は『 あきらめていないですよ 』。

ほかの農家の仲間と情報共有し、知恵を出し合い、収穫・出荷に向けて前を見ています。

 

そんな宮崎さんの決意に応えるように、ミニトマトは一生懸命に根を伸ばし続けていました。

 

“ 取材 ”では八代を中心とした県南地域をまわった一方で、

休日にボランティア活動に参加しようと伺ったのが、上天草市・松島町です。

 

この日は ほんの少しの時間しか活動できなかったのですが、

現地に向かう道中 や 活動させていただいた住宅、

そして ボランティアセンターで話を伺った中で天草エリアの被害の深刻さを感じました。

( 復旧を手伝わせていただいた家の方がイチジクをくださいました )

 

私が今回 被災地で話を聞く中で感じているのは、

興善寺町でも、氷川町でも、天草でも、そして 熊本市内でも、

みなさん「 うちは まだマシなほうだから、大丈夫よ 」と仰ることへのもどかしさです。

大丈夫なはずはないのに、他の地域へ心を寄せる姿に胸が詰まります。

 

被災から2か月が経とうとしていますが、

この2か月の間にも日本各地で線状降水帯や竜巻などの自然災害が多発していて、

どこに目を向ければいいのか、私自身 戸惑うことがあります。

 

だからこそ、自分が訪れたり、ニュースでお伝えしたりして ご縁ができたみなさん、

そして これから先 出会うみなさんの、復旧する姿を最後まで見届けたいと思います。

 

熊本に来て9年。

地震や豪雨災害から立ち上がり、復興を果たした人たちを見てきました。

今回の災害も、必ず、復旧・復興しましょう。

長崎・原爆の日 ~ 祖父の被爆体験 ~

8月9日。

80年前のきょう、長崎に原子爆弾が落とされました。

私のふるさとは、その長崎です。

祖父母は被爆者でした。私は いわゆる “ 被爆3世 ” です。

 

被爆者の平均年齢は86歳を超え、今年ついに10万人を下回りました。

「9万人は、存命している」とも捉えられるかもしれませんが、

自身の被爆体験を、自らの言葉で語れる人は もはや 多くはないと言われます。

 

ですから、せめて ここに、私が家族に伝え聞いた被爆体験を書き残します。

私の祖父・福居 謙三( ふくい・けんぞう )と 祖母・樹子( たつこ )です。

祖父は京都の生まれで、1945年当時は旧制長崎医科大学に通う大学生でした。

キャンパスは長崎市の坂本という場所にあり、爆心地からの距離は わずか0.6km。

『 原爆投下時に半径1km以内にいた人は ほとんどが即死した 』といわれています。

あの日も、大学では講義が行われていました。

 

祖父も、その場所に、いるはずでした―――

 

その年の夏、祖父は京都の実家で休暇を過ごし、

大学に戻るため8月5日の早朝に長崎に向けて出発しました。

 

長崎へは列車で移動しました。

空襲を受けた直後で焼け跡になった兵庫県西宮市を通過して姫路に着くと、

軍の命令により、乗っていた列車を軍人に明け渡すことになりました。

乗っていた列車は そのまま西へ。祖父は後発の列車に乗り換えました。

 

翌6日の夕方に広島県の海田市というところまで辿り着きました。

8月6日。広島に原爆が落とされた日です。

姫路で祖父を押し退けて軍人たちが乗り込んだ列車は消息がないといいます。

このときは まだ それが “ 原子爆弾 ” によるものだとは思っていませんでした。

 

8月7日。

朝8時ごろに列車が動き出したものの、広島市街地の直前で停車。

ふるさとの両親に学費を出してもらっている手前、大学の講義に遅れることはできないと焦った祖父は広島市街地を歩いて移動することにしました。

おびただしい数の遺体と廃墟と化した広島の町を見ながら、とにかく足を進めました。

被爆直後にも放射能が残っているなんて想像もせず、夕方まで歩き続けました。

その後 再び列車を乗り継ぎながら長崎を目指し、8月8日の夜9時ごろに到着。

長崎に原爆が落とされる14時間前のことです。

 

8月9日。

当時 祖父は長崎市の八坂町というところで下宿していました。

爆心地からは約3kmの距離があります。

京都から3泊4日の長旅、それも兵庫や広島の惨状の中を抜けてきたこともあって

ひどく疲れていたようで、ぐっすり眠り、朝起きるのが億劫に。

講義に間に合うよう頑張って帰ってきたのに、講義に行く気をなくしてしまったのです。

 

面倒見のいい同級生が、祖父を起こしに部屋まで来てくれました。

「おい!福居!講義に遅れるぞ!」と祖父を布団から引きずり出し、服まで着せてくれたそうですが、祖父は彼の優しさには応じず、そのまま眠りました。

その同級生とは、それが最後だったそうです。

 

長崎医科大学の被害は甚大で “ 大学最大の惨事 ” でした。

記録によりますと、

『 講堂の焼跡から 教授は教壇に、学生は座席についたままの姿で発見された 』

『 受講中の学生 約480人のうち314人が爆死した 』

 

この写真は、長崎医科大学のちかくにある “ 片足鳥居 ” と呼ばれる被爆遺構です。

神社の鳥居の大部分が 原爆による凄まじい爆風で吹き飛ばされ、今の姿になりました。

この “ 片足鳥居 ” でさえ、爆心地からは約0.8kmの距離がありました。

祖父が真面目に講義に出ていれば、きっと助からなかったでしょう。

 

生き残った祖父は救護活動に携わり、その後 産婦人科医になりました。

祖父は、息子である私の父に

「 皆勤するのが良いとは限らない 」

「 気がすすまないなら、サボっていい。一寸先は闇かもしれない 」

・・・などと言っていたそうです。

 

今回 綴った話は、その私の父が、祖父から聞いた話を書き留めていたものです。

  

私自身は祖父母から詳細な被爆体験を直接聞かされたことは 一度もありませんでした。

唯一、記憶に残っているのが、晩年に目を悪くした祖母が小さく呟いた一言です。

『 視界が暗いのは嫌。原爆を思い出すから。 』

普段の祖母は意地が悪いくらいに強気でパワフルな女性だったため、

ふと漏らした言葉と、弱々しい背中を見て とても驚きました。

そして、それ以上の話を聞きだそうと思えませんでした。

 

そんな祖父も、祖母も、父方・母方 含め、みな他界しました。

もう二度と話を聞くことはできません。

 

この夏は夫と息子2人を連れて 長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れ、

祖父母たちの名前も収められている ≪ 原爆死没者名簿 ≫ の前で祈りを捧げてきました。

 

無理に話を聞いて、心の傷をえぐることは したくなかったけれど、

それでも、互いに辛い思いをするかもしれないけれど、聞いておくべきだったのか――

今になって、いろんな思いが頭の中を巡りました。

 

今回、このようなかたちで祖父の話を綴ろうと思ったのは、

戦後80年の今年、RKKの呼びかけに たくさんの方が応えてくださったことに心を動かされたからです。

 

『 私たちが知らない “ 戦争 ” を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

実体験をもとにした証言、家族から伝え聞いた記憶・・・

多くのエピソードが寄せられるなか、

「 これまで誰にも話さなかったけれど、伝えなければ 」と意を決して連絡をくださった方もいらっしゃいました。

 

“ 思い出したくなかった ” とか “ 話してはいけない気がしていた ” など

複雑な気持ちを抱えて過ごしていらしたのかもしれないと想像しました。

その上で、今回 私たちの呼びかけに応じてくださったことに感謝が尽きません。

 

私も、家族が経験した “ 戦争 ” そして “ 被爆 ” を伝えなければと思いました。

戦後90年、100年、150年、もっと先の未来まで―――

戦争を体験した たくさんの人々 が 託してくださった 記憶 と 気持ち を、私たちも、つなぎます。

火の国まつり!

今月2日(土)に行われた 火の国まつりの「おてもやん総おどり」

熊本の夏の風物詩ですね。

参加した!見に行った!という方も多いと思います。

 

RKKでは「おてもやん総おどり」の様子をお伝えする特別番組を放送します!

『第48回火の国まつり おてもやん総おどり絵巻』

3連休の最終日・山の日の11日(月)午後4時20分からです!

私も浴衣を着て、参加者のみなさんにインタビューさせてもらいました!

やはり浴衣を着ると、夏を感じられてうれしくなりますね~

亀山さんとそれぞれ選んだ浴衣は、偶然ふたりともアサガオ柄でした♩

 

会場となった通町筋一帯は、総おどりが始まる前から熱気に包まれていました。

始まると、楽しい時間はあっというま。一気に駆け抜けたような感覚でした。

15年ほど前に一度参加したときの記憶も蘇ってきました~!

たくさんの人と交流して、たくさん汗をかいて…素敵な夏の思い出になりました。

 

 

あのサンバのリズムと祭りの高揚感をもう一度!

放送は、今月11日(月)午後4時20分からです。

ぜひご覧ください。

“ 長崎の記憶 ” を 熊本 で 語り継ぐ

この仕事をはじめて14年目になります、福居万里子です。

先日、光栄なことに 自らの “ 仕事 ” について表彰していただきました。

 

【 JRN・JNN アノンシスト賞 】

全国にあるJRN・JNN系列局のアナウンサーを対象に、

ナレーションや実況、フリートークなどの技術を評価するコンテストです。

昨年度の1年間に放送したものの中から優れた作品を部門ごとに表彰します。

 

2024年度 アノンシスト賞 全国審査で

ラジオ「 読み・ナレーション 」部門で最優秀賞をいただきました。

 

心から嬉しく思うとともに、今回の受賞を報告したい方がいました。

熊本市 の 深堀弘泰( ふかほり・ひろやす )さん です。

直接 お目に かかったことは ありません。

2022年に96歳で亡くなりました。

先日、ご遺族のお許しをいただき、御仏前にご挨拶とご報告をしてきました。

 

今回 受賞したのは、去年12月に放送した「 アナぐらむ 」内での朗読でした。

長崎で被爆し、その後 熊本に移り住んだ深堀さんの証言からつくられた

紙芝居『 被爆体験記 長崎原爆救援列車 』を私の声でお届けしました。

日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのを機に、

私も長崎出身の被爆3世として、アナウンサーとして、

何かできないかと思い、企画したものでした。

 

原爆救援列車とは当時の国鉄の蒸気機関車で、

被爆直後に原子野と化した長崎市内と病院との間を何往復もし、負傷者を運びました。

ただ、その方々の多くは病院に着くまでの間に息を引き取ったといいます。

 

深堀さんは まさに この列車に乗り込み、救援にあたっていました。

その一方で、当時ご自身の家は爆心地のすぐ近くにあり、家族や親族を亡くしました。

このときの記憶を被爆証言として残し、熊本県被団協が紙芝居にしたのです。

 

( 救援列車の車輪はJR長与駅のロータリーで展示されています )

 

爆心地から3.5キロの場所で経験した恐怖

変わり果てた町や市民の姿を目の当たりにした衝撃

家族を亡くす悲しみ

放射能の影響で苦しみ亡くなっていく人を看取る悔しさ

 

深堀さんの記憶を追体験するような気持ちで読ませていただきましたが、

言葉を口にするだけでも非常につらいものがありました。

 

それでも、深堀さんの「 戸惑い 」や「 恐怖 」そして「 悲しみ 」と「 絶望 」を、

少しでもリスナーのみなさまに感じてもらえるよう、

私のふるさと・長崎の情景とこれまでに私が見聞きした被爆の実相を思い浮かべながら

ひとつひとつの言葉に感情をのせました。

 

感情をのせるために・・・細かい話をしますと、

たとえば “ 読み下す ” とか “ 鼻濁音 ” など、

ナレーションの基本とされる部分を無視して表現したところもありました。

 

それでも今回このようにして審査員のみなさまに認めていただけたこと、

そして何よりリスナーのみなさんや遺族の方々の心に届いたことは、

放送に向き合う自らの姿勢に対し背中を押していただけたような気持ちです。

 

 

( 熊本県被団協のみなさんも受賞を喜んでくださいました )

 

審査の過程で「 講評 」も届くのですが、つぎのような激励をいただきました。

 

“ これからも さらなる戦争体験の継承に 期待する ”

 

いま私たちRKKは戦争体験の募集と掲載、その音声化を進めています。

 

RKK特別サイト『 私たちが知らない 戦争 を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

被爆体験記を遺してくださった深堀さん や ご遺族、

そして 今回の受賞に恥じぬよう、ひとつひとつ 心を込めて 努めてまいります。

豪雨から5年 ~ 家族で訪ねる人吉・球磨村 ~

我が家は ほぼ毎週 休日は家族で県内各地をドライブします。

人吉・球磨地域に行くことも しばしば で、そのたびに球磨川の美しさに感動!

HASSENBAのテラスでは川下りの船越しに球磨川を眺めることができます。

人吉を象徴する景色で、私は大好きです。

 

一方で、街なかの電柱には過去の水害の記録と教訓が伝えられていて、

“ 忘れないで、球磨川 の もうひとつの顔 ” という言葉に はっとしました。

 

県南で過ごす時間は 純粋に楽しいのは もちろん ですが、

訪れるたびに自然の恐ろしさを思い出しますし、

橋や道路の復旧状況などを見て “ 復興の現在地 ” を知る機会になります。

 

球磨川沿いを走ると、護岸工事などの影響で 何度も う回路に誘導されます。

不便さを感じる一方で、新しい橋梁の工事現場に遭遇すると、

こうしたことも復興への大切なステップなのだと実感します。

 

そして、このブログでは たびたび綴っていますが、

私は鉄道ファンの家系で生まれ育ったので、どうしても肥薩線が気になってしまいます。

 

ねじれるように変形した線路 や 雑草に覆われた踏切。

肥薩線だけは、5年前の “ あの日 ” から、時が止まったまま です。

 

ただ、今回 初めて気づいたことがありました。

 

球磨村にある『 那良口( ならぐち )駅 』は いわゆる “ 無人駅 ” で、

肥薩線の復旧にあたっては 廃駅 になる方針だと伝えられています。

その那良口駅をぼんやりと対岸から眺めていたところ、

駅のホームにプランターがいくつか並んでいて、その中で花が咲いているのが見えました。

現在、那良口駅に列車が来ることはありません。

つまり、利用者もいないはずなんです。

JR九州 熊本支社の話では、

この駅の “ 名誉駅長 ” である女性が、ずっと世話をし続けているのだとか。

 

それを聞いて、胸が詰まりました。

 

被災地には、私が知らない、気づいていない景色と、

それに関わり、守る人たちがいて、たくさんの “ 物語 ” が あるのだと。

 

熊本市内から県南へむかうとき、高速道路を使うことが多くなると思うのですが、

もし時間が許すのなら、球磨川沿いをゆっくりと走ってみてほしいです。

 

( 球磨村・球泉洞で涼しいひと時を過ごすのもオススメ! )

 

それから――

いつもなら日帰りのところを、

豪雨から5年となる今回は、宿を予約して人吉に一泊することに!

“ 夜の空気 ” を感じてみたかったからです。

 

夕食には球磨川水系の支流のひとつ・胸川沿いに立つ店に入りました。

5年前の豪雨では「 球磨川 」がどうしても注目されますが、

実際には その支流こそが先に水があふれるなどして被害が拡大しました。

胸川も濁流となり、当時この店も被災していて、

また、5年前だけでなく それ以前にも川の恐ろしさを経験したそうです。

 

それでも この場所で店をつづける理由は――

直接お話を伺う機会こそありませんでしたが、

窓から見える川の流れや豊かな緑、心地よい鳥や虫の声といった魅力的な空気を感じれば、

理解できるような気がしました。

 

( アユの塩焼き、きじ刺し・・・どれも絶品です )

 

お腹を満たした後は、人吉の中心市街地を散策。

青井阿蘇神社はライトアップされていて、昼間とは違った雰囲気に。

 

JR人吉駅や鍛冶屋町通りでは人吉が舞台の『 夏目友人帳 』の影絵を鑑賞。

 

( 大学生のころから作品のファンなんです・・・! )

これらは【 人吉ひかりの復興プロジェクト 】といって、

光のチカラによって人と人とをつなぎ、人吉の魅力を磨き、

夜間の周遊を促そうというプロジェクトです。

 

夜に訪れた人吉の街は、飲食店がにぎわう声、散歩しながら交わされる会話、

そして 虫の声や川の水の音が交錯し、昼間とは少しちがう雰囲気でした。

 

あれだけ恐ろしいことが起こっても 多くの人が球磨川を憎んだり離れたりしないのは、
この場所での暮らしや文化、歴史が、いつの時代も 球磨川と ともに あったからなのでしょう。

 

人吉に泊まった翌日は、錦町 や あさぎり町、多良木町にも足を伸ばし、

球磨川と、その流域の街、いろんな表情を見ることができました。

 

ペンやカメラを持って “ 取材 ” で訪れるのと、

幼い息子と手をつなぎ ゆっくりと歩くのでは、

見えてくること、感じること、それぞれ違う “ 気づき ” が ありました。

これからも いろんな視点で 県内を見つめつづけようと思った旅でした。