福居万里子です。
大型連休に水俣を訪れた もうひとつの目的は、改めて《 水俣病 》を知ることでした。
水俣市立 水俣病資料館です。
『魚湧く海(いお わくうみ)』と呼ばれるほど豊かだった かつての水俣湾から始まり、
経済発展に沸く街の様子、そして猫などの動物に異変が起こり、
ついに人にも症状が現れる・・・という水俣病の経緯を辿ります。
私にとって水俣病は『 教科書に載っていた《 歴史 》 』でした。
しかし、5年前に熊本に来て、水俣湾周辺を歩いてまわり、慰霊式に伺い、
テレビではすべて放送することは滅多にない『 祈りの言葉 』を最後まで聞いたことで、
すごく《 近く 》感じるようになりました。
一方で、たくさんの人の努力で取り戻された水俣の海の美しさも知りました。
これは水俣病患者の方が手がけた作品で、手指機能の改善を目的としたアートだそうです。
前回訪れたときには 展示に気づきませんでした。
あえて『 海 』を題材にしたのか・・・それは分かりませんが、
鮮やかな色づかいや、にっこり笑うカニを見て、いろんなことを想像しました。
もうひとつ、水俣病センター 相思社・水俣病歴史考証館にも伺いました。
水俣市立 水俣病資料館から車で5分ほど走り、丘の上にあります。
1畳ほどの小屋。
何に使われたか、ご存じですか。
まだ水俣病の実態が分かっていなかったころのことです。
原因を調べる目的に、ネコを使った動物実験が行われました。
そのネコは【 400号 】と呼ばれ、この小屋に入れられていたのです。
当時の記録には、研究者の心の葛藤も綴られていて、なんとも言えない気持ちになります。
ネコ飼っている私にとって、目を背けたくなるような資料でしたが、
それでも、これが水俣病の歴史です。
400号が暮らした小屋は、この先もずっと水俣病の歴史を伝えるものとして残すため、去年 修復されました。
『 言葉で伝えていくことは もちろん大事だけれど、こうした《 物 》が語りかける力も とても大きい 』
スタッフの方の言葉が心に残っています。
こうした資料館、みなさんが最後に訪れたのは いつですか?
きっと、訪れるたびに違った感情が芽生えるはずです。