福居万里子です。
12月19日(木)のRKKラジオ 「 アナぐらむ 」。
『 日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞 』を受け、吉田アナ・上岡アナと3人で “ 戦争 ” や “ 平和 ” について考えました。
私のふるさとは 被爆地・長崎 です。
放送などで特に話したことはありませんでしたが、祖父母は被爆者でした。
私は いわゆる “ 被爆3世 ” です。
被団協は全国各地に組織され、熊本県被団協の事務所は熊本市にあります。
先日、取材に伺う機会に恵まれました。
被団協の願いは もちろん『 核兵器廃絶 』です。
そして、同じくらい強く訴えていることがあります。
『 記憶の継承 』です。
“ とにかく、若い人たちと接触するチャンスがほしい ”
“ 自分の記憶と願いを若い人たちに託し、これからも伝え続けてほしい ”
( 被爆二世の平生さん )
被爆者の想いは切実で、
“ 私は 長崎出身で、被爆三世でありながら、何もしていないではないか ”
という気持ちになりました。
聞くと、被団協というのは被爆者でなくても入会できるのだとか。
核兵器廃絶の想いに賛同する人なら、たとえ被爆地にルーツがなくても構わないそうです。
私は “ 最初の一歩 ” として 熊本県被団協に入会することにし、
そして “ つぎの一歩 ” として 被爆体験記の朗読に挑戦することにしました。
『 アナぐらむ 』 で放送した「 長崎原爆救援列車 第一号 」は、
かつて熊本県被団協の会長を務めた深堀弘泰さんが残した証言です。
県被団協により紙芝居が制作され、小学校への出張授業などで使われています。
爆心地から3.5キロの場所で経験した恐怖
変わり果てた町や市民の姿を目の当たりにした衝撃
家族を亡くす悲しみ
放射能の影響で苦しみ亡くなっていく人を看取る悔しさ
深堀さんの記憶を追体験するような気持ちで読ませていただいたのですが、
言葉を口にするだけでも 非常につらいものがありました。
深堀さんは2022年に96歳で亡くなりました。
その声を生で聞くことは、もう叶いません。
来年には被爆80年になります。
被爆者、それも当時の記憶があるような年齢の人は少なくなっていて、
熊本県被団協でも、自身の被爆体験を語ることができるのは 数人 だといいます。
しかし、深堀さんが証言を残し、被団協がそれを紙芝居にしたことで、
私は その記憶に触れることができ、きっと これからも語り継がれていくはずです。
私は、毎年8月9日に ふるさと・長崎に想いを馳せるものの、
RKKに入社してからは 戦争関連の取材をしても、松橋の空襲や錦町の人吉海軍航空基地など “ 目に見える、熊本の戦争の記憶 ” に目を向けていました。
しかし、2024年3月のデータによれば、熊本県内にも592人の被爆者がいて、
これは 長崎、福岡に次ぐ 九州で3番目の数です。
そして、熊本県被団協の活動や、深堀さんの被爆体験にふれたことで、
私は、『 熊本にも “ 原爆 ” は あったんだ 』と思うようになりました。
被爆者たちの言葉は 被爆地・広島、長崎でも保存・公開されています。
【 長崎 】長崎の平和情報ポータルサイト 「 長崎原爆の記憶 」
【 広島 】広島平和記念資料館 平和データベース 「 被爆者証言ビデオ 」
検索し、ご覧になってみてください。
( 熊本県被団協のみなさんと )