“ 長崎の記憶 ” を 熊本 で 語り継ぐ

この仕事をはじめて14年目になります、福居万里子です。

先日、光栄なことに 自らの “ 仕事 ” について表彰していただきました。

 

【 JRN・JNN アノンシスト賞 】

全国にあるJRN・JNN系列局のアナウンサーを対象に、

ナレーションや実況、フリートークなどの技術を評価するコンテストです。

昨年度の1年間に放送したものの中から優れた作品を部門ごとに表彰します。

 

2024年度 アノンシスト賞 全国審査で

ラジオ「 読み・ナレーション 」部門で最優秀賞をいただきました。

 

心から嬉しく思うとともに、今回の受賞を報告したい方がいました。

熊本市 の 深堀弘泰( ふかほり・ひろやす )さん です。

直接 お目に かかったことは ありません。

2022年に96歳で亡くなりました。

先日、ご遺族のお許しをいただき、御仏前にご挨拶とご報告をしてきました。

 

今回 受賞したのは、去年12月に放送した「 アナぐらむ 」内での朗読でした。

長崎で被爆し、その後 熊本に移り住んだ深堀さんの証言からつくられた

紙芝居『 被爆体験記 長崎原爆救援列車 』を私の声でお届けしました。

日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのを機に、

私も長崎出身の被爆3世として、アナウンサーとして、

何かできないかと思い、企画したものでした。

 

原爆救援列車とは当時の国鉄の蒸気機関車で、

被爆直後に原子野と化した長崎市内と病院との間を何往復もし、負傷者を運びました。

ただ、その方々の多くは病院に着くまでの間に息を引き取ったといいます。

 

深堀さんは まさに この列車に乗り込み、救援にあたっていました。

その一方で、当時ご自身の家は爆心地のすぐ近くにあり、家族や親族を亡くしました。

このときの記憶を被爆証言として残し、熊本県被団協が紙芝居にしたのです。

 

( 救援列車の車輪はJR長与駅のロータリーで展示されています )

 

爆心地から3.5キロの場所で経験した恐怖

変わり果てた町や市民の姿を目の当たりにした衝撃

家族を亡くす悲しみ

放射能の影響で苦しみ亡くなっていく人を看取る悔しさ

 

深堀さんの記憶を追体験するような気持ちで読ませていただきましたが、

言葉を口にするだけでも非常につらいものがありました。

 

それでも、深堀さんの「 戸惑い 」や「 恐怖 」そして「 悲しみ 」と「 絶望 」を、

少しでもリスナーのみなさまに感じてもらえるよう、

私のふるさと・長崎の情景とこれまでに私が見聞きした被爆の実相を思い浮かべながら

ひとつひとつの言葉に感情をのせました。

 

感情をのせるために・・・細かい話をしますと、

たとえば “ 読み下す ” とか “ 鼻濁音 ” など、

ナレーションの基本とされる部分を無視して表現したところもありました。

 

それでも今回このようにして審査員のみなさまに認めていただけたこと、

そして何よりリスナーのみなさんや遺族の方々の心に届いたことは、

放送に向き合う自らの姿勢に対し背中を押していただけたような気持ちです。

 

 

( 熊本県被団協のみなさんも受賞を喜んでくださいました )

 

審査の過程で「 講評 」も届くのですが、つぎのような激励をいただきました。

 

“ これからも さらなる戦争体験の継承に 期待する ”

 

いま私たちRKKは戦争体験の募集と掲載、その音声化を進めています。

 

RKK特別サイト『 私たちが知らない 戦争 を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

被爆体験記を遺してくださった深堀さん や ご遺族、

そして 今回の受賞に恥じぬよう、ひとつひとつ 心を込めて 努めてまいります。