カテゴリー別アーカイブ: 福居万里子

復興のサンドアート

我が家の玄関には 息子の靴の中に入り込んだ砂が散らばっています、福居万里子です。

 

11月5日(火)の夕方Liveゲツキン!は、

熊本の “ 特別な砂 ” を使ったサンドアートを紹介しました。

サンドアートとは、ガラスの上に広げた砂で絵を描き、下から照明をあて、

その光と影を映し出すことによって物語を展開していく芸術作品です。

 

東京で活動しているサンドアーティスト・Caveさん。

熊本地震で被災した南阿蘇鉄道に心を寄せ続け、熊本の景色をモチーフにした作品を発表したり、募金活動をしたりしては熊本を訪れエールを送ってくださっています。

ゲツキン!「 福居の気になる劇場 」で紹介し、その後も交流が続いていて、

南阿蘇鉄道 全線再開の日には南阿蘇で会うこともできました。

( この夏にはRKKラジオに出演するためにRKKにもいらっしゃいました! )

 

Caveさんが今回熊本にやってきたのはチャリティーコンサート出演のためでした。

『 いのちのめぐみコンサート in 熊本 』

ことし1月に地震、さらに9月には豪雨にも見舞われた能登半島へ、

熊本から “ 復興のバトン ” を渡そうというイベントです。

 

そこで阿蘇を舞台とする新作を披露することになったCaveさんが訪れたのは、阿蘇神社でした。

コンサートの目的やCaveさんの想いに共感し、神社が “ 清めの砂 ” を授けてくれたのです。

( 権禰宜の内村さんと )

――コンサート本番。

阿蘇神社 の “ 清めの砂 ” を使ってCaveさんがパフォーマンス。

会場で流れたのは、美しく勇壮な調べ――

去年 楼門が復活した阿蘇神社の復興を記念してつくられた交響曲 『 蘇(そ) 』 です。

阿蘇の大地の成り立ち や 語り継がれてきた神話、

阿蘇神社を心の拠り所にして紡がれてきた人々の営みなど、

指先から、砂へ、祈りを込めて・・・見事に表現。

会場からは、パフォーマンス への “ 感動 ” と、

これまでのCaveさんの活動 への “ 感謝 ” を込めて 大きな拍手が送られました。

 

Caveさんの言葉で印象に残っているものがあります。

 

サンドアートは、描いては消えて、その上に さらに絵を描き、それも また消えていく

その様子は、

災害で失われてしまった景色が復旧・復興され、

人々の思い出や記憶へと昇華されていくのと似ている――

 

コンサートを鑑賞した人からも

「 Caveさんのパフォーマンスが、熊本が辿ってきた復興の変遷と重なって見えた 」という声がありました。

 

きっと、みなさんの心にも届くはずです。

 

そして、 “ 復興のバトン ” を、熊本から 能登半島へ――

 

今回の特集は 【 TBS NEWS DIG 】 で公開中です。

「壊れたものが、蘇る」 サンドアートに復興を重ねる女性 熊本の“特別な砂”で描いた阿蘇に観客も涙 | TBS NEWS DIG

ぜひ ご覧ください。

 

令和6年 能登半島地震復興絵支援チャリティコンサート

『 いのちのめぐみコンサート in 熊本 ~ ときの旋律 すなの音色 ~ 』

( コンサートの収益は すべて 能登の被災地に贈られるということです )

 

Caveさん、ありがとうございました!

すたすた中継 in 阿蘇

競走馬育成ゲームにハマった時期があります、福居万里子です。

( ブエナビスタが好きでした )

 

職場復帰して ひと月ほどが経とうとしています。

日々のニュースを伝えたり、番組ナレーションを務めたり、ラジオでトークを展開したり・・・

 

10年以上のキャリアの中で “ 当たり前 ” になっていたようなことが、

半年のブランクを経て戻ってくると、改めて刺激的に感じます。

 

刺激的、というか、ヒヤヒヤする経験もしました。

 

TBSの情報番組「 Nスタ 」の【 すたすた中継 】、11月5日( 火 )は 阿蘇市から。

美しい夕日を眺めながら阿蘇の大自然を散策するという乗馬体験を紹介しました。

中継本番は午後5時台ですが、現場入りは午前10時。

乗馬技術を習得し、トーク内容や動きを頭に入れて、スタッフ全員でリハーサルをして・・・

中継が成り立たないほど乗馬のセンスがなかったらどうしよう?

馬との相性が悪かったらどうしよう?

いろいろと不安はあったのですが、

今回 私の相棒を務めたシスコちゃん(9歳)は とても賢く穏やかな性格で、

全く苦労することなく、最初からスムーズに乗ることができました。

( 午前中の練習、余裕の福居 )

 

そして中継本番――

日中は晴れていたのに夕方になって阿蘇の上空には厚い雲が・・・

“ 生 ” で美しい夕景をご覧にいれることは叶いませんでしたが、

事前取材した際の映像などから阿蘇ならではの秋の絶景をお届けすることができました。

( 事前に撮影していた映像から )

馬のシスコちゃんもとっても落ち着いていて、中継は無事に終了!

 

――だったのですが。

 

中継の中でも報告したのですが、

私、移動中にイヤホン機器をまるごと落としてしまったのです。

手綱から手を離すわけにもいかず、中継リポートを優先。

スタジオの声は全く聞こえなくなりましたが、

井上アナウンサーやホランさん、松田さんたちが優しくフォローしてくださいました。

 

中継が終わってすぐに現場を捜索!

足元には人の膝が隠れるほどに伸びた笹。

日の入りを過ぎ、阿蘇の草原は刻一刻と闇に包まれていきます・・・

 

み つ か ら な い ・・・!!!!!

 

それでも必死に、必死に、スタッフ全員、ほふく前進のような態勢で探し続け、

1時間ほどかけて、ついに発見!

( 泣きそうな福居と、乗馬クラブのティアさん、発見して安どの表情の音声スタッフ )

 

生放送って、何が起こるか分かりませんね!( だからこそ、オモシロイ!? )

一生 忘れられない中継になったのでした。

 

Nスタ の すたすた中継 は、公式ホームページでも公開されています。

過去の放送も含めて、是非ご覧ください♪

 

夢☆大地グリーンバレーのみなさま、ありがとうございました!!

シン・フクイ 2.0

おひさしぶりです、福居万里子です。

ブログやInstagramでお知らせしていましたように、第二子を授かり春に出産、

育児休業を経て、この秋 職場に復帰しました。

( お宮参りは長男のときと同じ健軍神社へ )

 

“ 男の子ふたりの母親 ” になりました。

長男につづく2度目の妊娠・出産自体は “ そうそう、これこれ ” というように

前回の経験を元に余裕すら感じていたのですが・・・

 

問題は、退院後でした。

 

んまぁ~~~~~~~想像を超えていました。

 

身体が発達し、あちこち動き回っては部屋を散らかし、物を壊す長男に、

おしゃぶりは嫌い!抱っこは縦抱き!ミルクは熱めでないとイヤ!と主張の多い次男。

幼子ふたりとの暮らしが こんなに目まぐるしいだなんて、知りませんでした。

( 次男を抱く私に長男が『 遊んで! 』とアピール )

 

けれど、

 

兄弟ふたりで笑い合い、

寄り添って眠る姿が、

こんなに愛おしいということも、知りませんでした。

 

 

今回の育休中も とにかく出かけ、いろんな景色を見てきました。

 

人吉では球磨川沿いを散歩し、復興の現在地を確かめ、

暑い日には涼を求めて南阿蘇村・白川水源へ。

くまモンが大好きな長男を喜ばせたくて、

日曜日は早起きしてアミュプラザくまもと「くまモンステーション」へ行き、

くまモンポート八代にも足を運びました。

粟島神社の “ ミニ鳥居 ” も挑戦しましたし、

加藤神社の夏越の大祓 『 茅の輪くぐり 』 をしたのも、いい思い出です。

これまでもヒマさえあれば県内各地を巡り、遊び歩いてきた私ですが、

息子たちの成長にあわせて行動範囲や興味関心がさらに広がっていて、

熊本の魅力を再発見する日々です。

 

一方で、楽しいことばかりではない育児や課題が指摘されている保育園事情、

そして、一時的でもキャリアを手放すことへの葛藤など

“ 母親としての苦悩 ” と向き合うことも少なくありませんでした。

 

これらの経験を、アナウンサーとしての仕事にも、きっと生かせるはず――

 

そんなワクワクした気持ちで、帰ってきました。

 

久しぶりに戻ってきた大好きな放送の現場に前のめりになる私を見て、

家族や同僚、SNSをフォローしてくださっている方々からは

「 無理しないように 」、「 飛ばし過ぎるなよ 」と優しくたしなめられていますが、

家族の支え、同僚たちのサポート、

RKKに親しんでくださるみなさんからの激励に応えるべく、

これから一層 力を尽くします。

再び、よろしくお願いいたします!

想いと経験を「声」に のせて

出産・育児のため休職中の福居万里子です。

( お久しぶりです・・・というほど前回のブログから日が経っていませんが )

 

休職中ではありますが、

先日、“ RKKアナウンサーとして ” 東京にいってきました。

目的地は赤坂のTBSです。

 

【 JRN・JNN アノンシスト賞 】

全国にあるJRN・JNN系列局のアナウンサーを対象に、ナレーションや実況、フリートークなどの技術を評価するコンテストです。

昨年度の1年間に放送したものの中から優れた作品を部門ごとに表彰します。

 

その、2023年度 アノンシスト賞 全国審査で

テレビ「 読み・ナレーション 」部門で最優秀賞をいただいたのです・・・!

受賞したのは、今年1月に放送したRKK70周年報道特別番組『 スローなニュース 』で取り上げた3歳女児殺害事件「 犯人からの手紙 」のナレーションです。

2011年に起きた事件の遺族のその後を見つめたもので、娘を殺した “ 犯人 ” から届いた手紙を父親が読むシーンはRKKのニュースサイトでも大きな反響がありました。

――私は、

自分の声はいわゆる “ いい声 ” でも

“ 特徴のある声” でもないと思っています。

 

それでも、美声を持っていなくとも、

取材や私生活で得た自身の経験・想いがナレーションに反映されると信じて

アナウンサーという仕事に向き合ってきました。

 

そういう意味で、今回のナレーションには

去年1年間に私が得た経験や感情が詰まっていました。

 

自分も子を授かり、親になったこと。

( 収録時は長男が1歳になるころで、お腹の中には第二子もいました )

 

交通事故被害者遺族・深迫さんにお会いして、子を亡くす悲しみについて考えたこと。

( 事故で亡くなった息子・忍さんの遺志を継ぎ開いた店『 Calmest Coffee Shop 』にて 父・深迫祐一さんと )

 

くまもと被害者支援センター主催「 いのちのうた コンテスト 」の審査員を務め、

“ 命 ” を想って紡いだ たくさんの言葉にふれたこと。

( 一緒に審査員を務めた詩人の伊藤比呂美さん(右)・一般の部 優秀賞を受賞した崎山さん(中央)と )

( このときの表彰式では『 Calmest Coffee Shop 』深迫祥子さんによる講演もありました )

 

今回のナレーションは収録時に喉の調子が特別よかったわけでも、

鼻濁音やアクセントといった技術面が完璧だったわけでもありませんが、

こうした ひとつひとつの経験を私の声に乗せ、

“ 私にしかできないナレーションを ” と思い 挑んだものでした。

 

審査では、そうした心情表現の部分に共感したというような講評をいただき、

放送をご覧になった方々にも きっと伝わっているのだと、励みになりました。

そして、私の “ 生き方 ” も肯定していただけたような気がして、心から嬉しく思います。

今回、『 ナレーション 』という個人での受賞となりましたが、

『 放送 』というものは、私ひとりで成立するものではありません。

 

一緒に取材・番組制作に取り組み、信じてナレーションを任せてくれる仲間、

そして

いつも取材に応じてくださる みなさま

RKKの番組をご覧いただいている みなさまに、

改めて御礼申し上げます。

そして、今回の受賞をゴールとせず、これからも研鑽を続けることを誓います。

 

~ おまけ ~

アノンシスト賞は、各地区ごとの審査会があり、そこで評価・推薦された作品が全国審査へと進みます。

今回、九州・沖縄地区の審査では テレビ「読み・ナレーション」部門だけでなく、

3月の「 アナぐらむ 」で放送した水俣病をテーマとした紙芝居『 みつこの詩 』で ラジオ「読み・ナレーション」部門 最優秀賞を、

全国チェーン飲食店のCMナレーションで 「CM 」部門 優秀賞をいただきました。

テレビ「 フリートーク 」部門では 糸永アナが 夕方Liveゲツキン!での中継リポートで優秀賞を受賞しました!

( 会社の、いわゆる “ 偉い人たち ” にも、今回の受賞を労ってもらいました )

これからも、RKK、そして九州沖縄、全国のアナウンサーと切磋琢磨しながら、

みなさまの心に響く放送をお届けします!

 

・・・ということで。

まだ しばらくは育児休業をいただきますが、復帰した暁には また よろしくお願いいたします!

『 8度目の春 』 と ごあいさつ

福居万里子です。

 

熊本地震 発生から8年。

日数にして2900日以上が経過しましたが、数字にしてみると実感がわきません。

 

このアナウンサーブログの中で 後生川アナウンサーが

“ 「 あっというまの8年 」なのか「 まだ8年 」なのか ” というような問いかけをしていました。

 

私自身は どちらなのだろう

 

熊本地震 発生の1年後にRKKに入社してからの自分の取材を振り返ってみました。

 

まず、ニュース原稿を書く専用の端末で

『 熊本地震 』、『 福居万里子 』で検索すると、200件ちかくの原稿が見つかりました。

最も古いものまで遡ると、その日付は2017年4月12日。

タイトルは、「 益城町の小学校で給食再開 」。

―― そう、そうでした。

 

熊本地震で被災した益城町の給食センターは、長い間 使えなくなりました。

2年生の子どもたちは入学してすぐに被災したため、

それまでに2日間しか給食の経験がなく、

被災してからの1年間は業者などが届けてくれる弁当などを食べました。

久しぶりの給食には、温かいクリームシチューと新鮮な果物などが並びました。

といっても、この日の給食も、町内でつくられたものではありませんでした。

被災した益城町の給食センターが再開するまでの間、熊本市や御船町の調理場から給食が届けられました。

―― そう、そう。

そして、これが私がRKKに入社して初めて取材し放送したニュースでもありました。

原稿を見返せば そのときの記憶が鮮明に蘇りましたが、検索してみるまで忘れていたような気もします。

 

これで “ 7年前 ” なのですから、

“ 8年 ” という月日は、それ以上のもの、ということでしょうか。

 

熊本地震が発生してから、RKKの前に務めていた福岡の放送局での勤務を含め、

毎年 熊本地震に関する取材を重ねてきました。

 

被災した図書館が再開するまでの道のり

青森からエールを届けようと、熊本でねぶたが跳ねた夜

被災者を無料で招き “ 心の復興 ” を願ったサーカス団

益城町の復興を見つめてきた野球少年

全線復活の日を目指し続けた南阿蘇鉄道

防災という視点で進められた新たな街づくり

 

そして この春は、

『 熊本城 宇土櫓の “ 今 ” 』

『 被災地の孤立化を想定した熊本の取り組み ~ 天草で地震が起きたら ~ 』

私自身の取材も『 復旧・復興 』から『 これからの防災・減災 』というものが多くなってきたように思います。

 

ことし1月に放送した報道特別番組『 スローなニュース 』で取材を受けてくださった、

熊本地震で家族を亡くした遺族の言葉が、今も頭から離れません。

 

“ かわいそう、で終わらせないで ”

“ 未来に、次に つながる放送を ”

 

『 節目の日 』は過ぎましたが、

災害からの復旧・復興、そして 防災・減災への備えに区切りは ありません。

 

―― 自分自身に言い聞かせる、8度目の春です。

 

 

そして、タイトルにもありますように 『 ごあいさつ 』 も――

 

第二子を授かり、もうすぐ出産予定です。

出産・育児のため、4月中旬をもって お休みをいただきます。

 

最後の最後まで取材・放送に携われたのは、家族や職場の仲間のサポートあってこそでした。

( RKKラジオ「 午後2時5分 一寸一服 」は 上岡アナウンサーにバトンタッチ )

 

( RKKラジオ「 アナぐらむ 」では “ お暇 ” をテーマに産休入りを報告 )

 

( RKKテレビ「 夕方Liveゲツキン! 」熊本地震 本震発生の日に出演・解説 )

 

ラジオで妊娠のことを報告したり、テレビで大きなお腹が映ったりするたびに

視聴者のみなさまから励ましのメッセージが届いていたとも聞いています。

本当にありがとうございます。

 

きっと無事に出産し、しっかりと家族に向き合い、

いっそう “ 母親目線 ” を養い、元気に戻ってきます。

 

それでは、いってきます!(^^)

災害発生!そのとき、天草は――

防災士になって6年が経ちます、福居万里子です。

 

先日、ゲツキン!特集を制作するために取材で天草に行ってきました。

訪ねたのは、天草広域連合消防本部です。

 

『 およそ半数 』

これは、ことし1月に発生した能登半島地震における “ ある数字 ” です。

 

大きな災害が起きると、消防庁は全国各地にある「 緊急消防援助隊 」という組織に出動を指示します。

熊本地震でも、県外のいろんな自治体の名を背負った消防隊員が熊本に駆け付け、活動していたのを覚えている方も多いでしょう。

あの方々です。

 

この「 緊急消防援助隊 」、能登半島地震でも もちろん出動したのですが、発生から72時間以内に被害集中地域に辿り着けたのは 『 およそ半数 』 だったのです。

 

救助を阻んだのは、『 半島 』という特有の地形でした。

さらに土砂崩れや陥没によって道が絶たれたほか、海底が隆起したことで漁港も使えず、航路での支援も難しく、被災地は孤立しました。

 

こうした事態は、熊本も他人事ではありません。

( 熊本県 危機管理防災課 三家本 特別顧問と )

それが、今回 私が注目した ≪ 天草地域 ≫ です。

 

天草で街頭インタビューをしてみると、

「 天草五橋が使えなくなったら・・・ 」

「 海岸沿いの道路で土砂崩れが起きたら・・・ 」

と、やはり『 島 』ならではの不安をみなさん口にします。

 

では、実際に孤立してしまったら、どうなるの――?

 

いま、熊本県内、そして天草では さまざまな事態を想定した訓練や備えが進められています。

今回、その最前線を取材しました。

夕方Liveゲツキン!特集

『 災害発生!そのとき、天草は ~ どうする?被災地の孤立化 ~ 』

放送は、熊本地震 本震発生から8年となる 4月16日(火) です。

ぜひ、ご覧ください。そして、防災・減災について いっしょに考えましょう。

 

真面目な企画では ありますが、カッコイイ車両なども登場します!

ぜひ お子さんたちにも見てほしいです(^^)

( きっと、消防士さんに憧れちゃいますよ )

語り継ぐ

福居万里子です。

 

今シーズン、RKKラジオ 金曜 午後8時から お届けしている『 アナぐらむ 』。

3人のアナウンサーがそれぞれにテーマを持ち寄って、好き放題に語り合うトーク番組です。

 

3月22日(金)の放送では 【 水俣病 】 を取り上げました。

 

この日は、未認定患者の救済を巡る集団訴訟・熊本判決の日。

私たちRKKアナウンサーの多くは県外出身、そして若手も多く、

どこか 〝 水俣病は 教科書に載っている『 歴史 』 ” という感覚になっていないだろうかと、自分自身を含め、モヤモヤした気持ちがありました。

以前このブログにも記しましたが、

百間排水口の樋門撤去をめぐるニュースを深掘り取材したのも、そのような気持ちがあったからです。

 

放送のテーマは “ 語り継ぐ ” 。

水俣病を巡っては、患者やその家族の高齢化が進み、その歴史や実態を語り継げる人はどんどん少なくなっています。

そうした中で、私なりに、アナウンサーとして、アプローチできないかと考えました。

 

そこで挑戦したのが、今回の朗読です。

『 みつこの詩 』 脚本:吉永理巳子・奥羽香織/絵・上月ひとみ

制作/水俣病センター相思社

 

「 子どもたちに伝えていきたい 」という願いのもと、小学生向けの紙芝居として去年3月に完成したものです。

 

主人公・みつこ は、水俣病に翻弄されながらも力強く生き抜いた実在の女性で、脚本を手がけた吉永理巳子さんは実の娘です。

理巳子さんによれば、みつこさん自身も認定患者で、手足のしびれに苦しんでいたといいます。

ただ、そんな姿をことさらに周囲に見せることはなかった、とも仰っていました。

 

朗読するにあたっては、「 方言 」がいちばんの課題となりました。

私は長崎出身で、水俣の人々のアクセントや言い回しには慣れていません。

そこで、みつこの実の娘である理巳子さんが朗読をする場に伺い、それを録音し、何度も繰り返し聞いて自分の読みに反映させました。

理巳子さんは物語の “ 当事者 ” でもありますから、セリフには時折アドリブも盛り込まれていて、より感情がストレートに伝わりました。

アナウンサーは “ プロの読み手 ” ではありますが、

人の心に訴える朗読とは、必ずしも、原稿通りに読むこと や 正しい言葉づかい・アクセント ではないのだと、改めて学ばされる機会にもなりました。

 

水俣病とその歴史について、私には まだまだ知らないことが多すぎます。

そんな私が、誰かに向かって偉そうに語る資格があるとは思っていません。

 

でも、だからこそ、仲間 や みなさんと “ 知る努力 ”を続けたいと思うのです。

今回の放送が、その一歩になっていたら、と願います。

 

『 みつこの詩 』は水俣病の恐ろしさや悲しさだけを伝える作品ではありません。

水俣で暮らす人たちの “ 懸命に生きる姿 ” を、きっと感じていただけるはずです。

紙芝居 『 みつこの詩 』

水俣病センター相思社のホームページから購入可能。

貸し出しもされているほか、無料でダウンロードすることもできます。

同じように制作された紙芝居『 しらぬいさん 』も、ぜひ読んでみてください。

放送中には水俣市民という方からもメッセージをいただきました。

ありがとうございました。

歩いて発見!熊本城

頭が大きいせいでしょうか・・・ヘルメットがズレがち、福居万里子です。

 

TBSの夕方のニュース番組 「 Nスタ 」で、全国各地、ときには海外からも “ ライブ ” な話題をお届けする中継コーナー『 歩いて発見!すたすた中継 』。

2月29日(木)は熊本からの放送でした。

テーマは “ 熊本地震からまもなく8年、熊本城 は 今 ”。

城内で最優先で復旧が進められ復活を遂げた天守閣からは『 すたすた中継 』恒例のクイズを出題!

【 お城としては珍しい “ 緊急時に備えた対策 ” は? 】

① スプリンクラー ② 脱出用シューター ③ 備蓄倉庫

スタジオのみなさんも悩んでいましたが・・・

 

正解は、② 脱出用シューター!

訓練の様子が こちら。

( 写真提供:熊本城総合事務所 )

大天守の3階部分から地上にかけて脱出用シューターがおろされるのです!

高低差は 約20m あるそう。

“ 難攻不落 ” と言われた熊本城、観光客の命を守る準備もばっちり!というわけです。

地上にはシューターを固定するための金具が埋め込まれています。

現在は工事エリアとして立ち入り禁止ですが、開放された暁には足元を探してみてください♪

 

そして、私たち中継クルーは 今回の主役 『 宇土櫓 』 へ。

今年から復旧工事のための解体作業が始まりました。

築城から400年――

敵による侵攻などにも屈することはなく、西南戦争でも焼失を免れたという逸話から、“ 不屈の櫓 ”  と呼ばれている宇土櫓。

それでも、熊本地震では無傷というわけにはいかず・・・

 

今回、工事用の足場まで入ることを特別に許していただき中継しましたが、

屋根の瓦は割れたり落ちたりしているほか、

壁の漆喰が剥がれ内部の竹の骨組みがあらわになっている部分も多くありました。

 

私が初めて宇土櫓を見たのは2016年の夏、当時は福岡で暮らしていて、旅行で訪れました。

( 2016年に撮影。天守閣もまだ手つかずのままでした )

加藤神社の境内から遠目で見ると、損傷があまり目立たなかったため、

「 天守閣や石垣はボロボロだけど、被害が少ない櫓もあるんだ~! 」などと呑気に考えていたのです。

( 2017年に撮影。天守閣の工事は始まりましたが、宇土櫓はそのまま )

 

その後、熊本に来てからも宇土櫓に近づける機会はなかったため、今回はじめて間近で その姿を見て、正直、ショックを受けました。

 

そうですよね。無事なわけ、ありませんよね。

 

8年間、天守閣の復旧をいちばん近くで見守ってきた宇土櫓にも、ついに復旧の手が入ったと思うと、本当に感慨深いというか・・・

思わず 『 これまで よく頑張ったね 』 と声をかけたくなりました。

全国にファンがいる宇土櫓ですから、その現状について気になっている人は多いはず。

熊本市も「 今しか見られない姿を見てほしい 」と考えていて、一般の方にも見学してもらう機会を設けようと検討しているとか。

それが叶った暁には、みなさんも是非その姿を目に焼きつけてください!

 

~ ちなみに ~

今回の『 すたすた中継 』の舞台裏を、近日中に「 夕方Liveゲツキン! 」の中で紹介予定です。

こちらも お見逃しなく!!

“ スロー ” な ニュース ~ 災害報道を考える ~

福居万里子です。

1月13日(土)に放送したRKK70周年報道特別番組『 スローなニュース 』、いかがでしたか。

テーマのひとつが『 災害報道 』でした。

 

長崎県島原市の雲仙普賢岳です。

特別番組の収録後、ふるさと・長崎に帰省することがあり、雲仙岳災害記念館を数年ぶりに訪れました。

1991年の噴火災害では、死者40人・行方不明者3人をだしました。

その中には報道関係者や火山学者、地元の警察官や消防団員、タクシー運転手などが含まれます。

ご存知の方も多いと思いますが、当時のメディアをめぐっては “ 報道の過熱 ” や “ 危機意識の不足 ” が指摘されています。

火砕流に巻き込まれて亡くなったカメラマンが撮影した映像を上映するブースには、来館者の感想を書き込むノートがあり、こんな言葉がつづられていました。

『 当時 父は消防団で、私は不安でした。この映像を見ても腹立たしい気持ちしか沸きません 』

『 犠牲者をだしてまで、やる必要ありますか 』

『 報道関係は傲慢ですね 』

現在、地震や水害、台風に伴う中継や取材においては、どのメディアも安全第一、被災地とそこで暮らす人たちに迷惑をかけないよう配慮している・・・はずです。

それでも “ この取材は本当に、誰かのためになっているのか? ” と、ノートに書かれた言葉が自分自身に突き刺さるような思いがしました。

 

それから、特番の収録は年末だったので、北陸の地震が発生したのは、その数日後のことでした。

発生直後から私は各局の緊急報道から目が離せなくなり、とにかくいろんなことを考えました。

 

大津波警報がでているなか、どんな言葉で、どんな口調で、どんな声色・声量・速さで警戒を呼びかけるのが適切なのか。

実際に津波が押し寄せていて避難を続けている人たちは、ふるさとが火に包まれる映像をどんな気持ちで見ているのか。

道路の復旧が追いつかず “ 今はまだ、個人のボランティアは控えて ” と異例の呼びかけがされるなか、自分に何ができるのか。

 

「 複数のメディアから何度も同じことを聞かれ、そのたびに自分が責められているような気持ちになり辛かった 」

「 “ かわいそう ” で終わらせず、次につながる取材・放送を 」

熊本地震で目の前で家族を亡くした遺族が、発生から8年が経とうとする今、改めて取材を受けてくださったときの言葉です。

 

こうした言葉を、私たちは決して忘れることなく、今後の取材・放送にいかします。

 

ですから、逆に みなさんにも『 “ かわいそう ” で終わらせないで 』という言葉を胸に、

いま報じられている北陸の現状を見てほしいと思うのです。

 

『 報道 』というのは、私たち放送局だけでは成り立ちません。

ニュースを見てくださり、ときに取材対象となる みなさんがいてこその『 報道 』です。

 

速報性、手軽さが喜ばれる “ ファスト ” な時代ですが、

ときに立ち止まり、時間をかけてでも深く考える “ スロー ” なニュースを、みなさんといっしょに紡いでいけたらと考えています。

 

~ おまけ ~

雲仙岳災害記念館にあるカフェ『 GEO CAFE( ジオカフェ ) 』の看板メニュー『 雲仙火山トルコライス 』です。

黒米ご飯は「平成新山」を、地元産の野菜を使ったサラダは「妙見カルデラ」を、雲仙の豚肉を使ったトンカツは「溶岩ドーム・眉山」を表現しているとか。

島原で暮らすの人たちにとって、雲仙岳は恐ろしい火山であると同時に、恵みをもたらす火山であり、“ 誇り ” でも あるのです。

恐ろしい経験をしても なお、この地を離れず、火山とともに生きていく。

そのためには、やはり『 必要以上に恐れない、だからといって、油断もしない 』

ふるさと・長崎が、大切なことを、改めて教えてくれました。

北陸を想う

福居万里子です。

 

今月1日に発生した大地震と津波により、石川県能登半島を中心に北陸の広い範囲に被害が出ています。

きょう1月9日の時点でも全容はつかめておらず、この先どこまで影響が広がるのか、いまだに分かりません。

 

私たちが暮らす熊本から、今、そして これから先、どんなことができるのか――

 

ひとつ、紹介させてください。

 

『 大切な人が被災したときに、自分にできることが見つかる本 』

発行:BRIDGE KUMAMOTO( ブリッジ クマモト )

私がこの本に出会ったのは2022年3月でした。

当時 夕方Liveゲツキン!で取り上げ、instagramでも紹介したことがあります。

2020年に発生した【 7月豪雨 】の経験から、

▼被災地( もしくは 被災地のそば )にいる人

▼被災地から離れた場所にいる人

▼ボランティア経験がある人

▼ボランティア経験がない人

それぞれの立場で『 できること 』を提案するものです。

インターネットでも無料公開されていますので、読んでみてください。

 

そして、『 できること 』を すでに始めている人たちも たくさんいます。

 

火曜日の放送を担当しているRKKラジオ『 午後2時5分 一寸一服 』のために熊本市の鶴屋百貨店を訪れると、1階インフォメーションには募金箱が。

地震発生の翌日、1月2日の初売りの日から設置したそうです。

インフォメーションのスタッフの方に話を聞きました。

「 世代を問わず若い方々も自然と募金をしていってくださいます 」

「 小さなお子さんが “ お年玉袋 ” を持ってきてくれたこともありました 」

「 みなさん、“ 熊本地震で被災する辛さを知っているから ” と口々に仰います 」

 

 

それから、5階・漆器売り場にも伺いました。

石川県の伝統工芸といえば『 輪島塗(わじまぬり) 』。

その美しさだけでなく、丈夫で長持ちすることから熊本にもファンは多く、

被災地の職人さんたちの状況や今後の生産見通しなど、心配して売り場を訪ねる人が後を絶ちません。

 

売り場の方によりますと、

「 鶴屋と取引のある職人さんたちの命は無事で、連絡がとれている 」

「 しかし、復旧もままならない状況で、生産作業を再開する目途はたっていない 」

・・・ということです。

輪島塗の漆器は、お正月をはじめとした祝いの席に喜ばれ、

先日の年末商戦のシーズンも、それはそれは大人気だったそうです。

今回の地震が発生してからは、元々のファンは もちろん、

「 普段は買うのを遠慮していたけれど、今こそ買いたい! 」という人も少なくないとか。

 

ただ、支援物資さえ滞るような物流状況では、しばらくは新規入荷は難しいというのが現状で、いま店頭に並んでいる分に限られるということです。

ですから、「 今すぐ買って応援したい! 」というだけでなく、

これから先、少し時間が経ってから・・・

例えば季節の節句、家族の祝い事を迎えるたびに、その都度 売り場を覗いてみてください。

それが、息の長い支援となり、被災地へのエールになるはずです。

 

それから・・・

今回の災害は気象庁に『 令和6年 能登半島地震 』と命名されました。

メディアによる報道も、被害が集中している能登半島のことが多く、このエリアが注目されがちです。

しかし、実際は私たちが思っている以上に広い範囲に被害が及んでいるようです。

私も自分自身に言い聞かせていますが、視野を広く持ち、想像力を働かせながら被災地に想いを巡らせることも必要かもしれません。

 

一方で、今回の災害は8年前の熊本地震の辛い記憶を呼び覚ましてしまうのも事実です。

心が苦しくなったときには、災害報道から少し距離をとってもいいと、私は思います。

 

被災地から離れた場所にいる私たちが “ 普通に暮らす ” のも、大切です。

自分たちの日常を大切にしながら、被災地へ、いっしょに心を寄せましょう。