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長崎・原爆の日 ~ 祖父の被爆体験 ~

8月9日。

80年前のきょう、長崎に原子爆弾が落とされました。

私のふるさとは、その長崎です。

祖父母は被爆者でした。私は いわゆる “ 被爆3世 ” です。

 

被爆者の平均年齢は86歳を超え、今年ついに10万人を下回りました。

「9万人は、存命している」とも捉えられるかもしれませんが、

自身の被爆体験を、自らの言葉で語れる人は もはや 多くはないと言われます。

 

ですから、せめて ここに、私が家族に伝え聞いた被爆体験を書き残します。

私の祖父・福居 謙三( ふくい・けんぞう )と 祖母・樹子( たつこ )です。

祖父は京都の生まれで、1945年当時は旧制長崎医科大学に通う大学生でした。

キャンパスは長崎市の坂本という場所にあり、爆心地からの距離は わずか0.6km。

『 原爆投下時に半径1km以内にいた人は ほとんどが即死した 』といわれています。

あの日も、大学では講義が行われていました。

 

祖父も、その場所に、いるはずでした―――

 

その年の夏、祖父は京都の実家で休暇を過ごし、

大学に戻るため8月5日の早朝に長崎に向けて出発しました。

 

長崎へは列車で移動しました。

空襲を受けた直後で焼け跡になった兵庫県西宮市を通過して姫路に着くと、

軍の命令により、乗っていた列車を軍人に明け渡すことになりました。

乗っていた列車は そのまま西へ。祖父は後発の列車に乗り換えました。

 

翌6日の夕方に広島県の海田市というところまで辿り着きました。

8月6日。広島に原爆が落とされた日です。

姫路で祖父を押し退けて軍人たちが乗り込んだ列車は消息がないといいます。

このときは まだ それが “ 原子爆弾 ” によるものだとは思っていませんでした。

 

8月7日。

朝8時ごろに列車が動き出したものの、広島市街地の直前で停車。

ふるさとの両親に学費を出してもらっている手前、大学の講義に遅れることはできないと焦った祖父は広島市街地を歩いて移動することにしました。

おびただしい数の遺体と廃墟と化した広島の町を見ながら、とにかく足を進めました。

被爆直後にも放射能が残っているなんて想像もせず、夕方まで歩き続けました。

その後 再び列車を乗り継ぎながら長崎を目指し、8月8日の夜9時ごろに到着。

長崎に原爆が落とされる14時間前のことです。

 

8月9日。

当時 祖父は長崎市の八坂町というところで下宿していました。

爆心地からは約3kmの距離があります。

京都から3泊4日の長旅、それも兵庫や広島の惨状の中を抜けてきたこともあって

ひどく疲れていたようで、ぐっすり眠り、朝起きるのが億劫に。

講義に間に合うよう頑張って帰ってきたのに、講義に行く気をなくしてしまったのです。

 

面倒見のいい同級生が、祖父を起こしに部屋まで来てくれました。

「おい!福居!講義に遅れるぞ!」と祖父を布団から引きずり出し、服まで着せてくれたそうですが、祖父は彼の優しさには応じず、そのまま眠りました。

その同級生とは、それが最後だったそうです。

 

長崎医科大学の被害は甚大で “ 大学最大の惨事 ” でした。

記録によりますと、

『 講堂の焼跡から 教授は教壇に、学生は座席についたままの姿で発見された 』

『 受講中の学生 約480人のうち314人が爆死した 』

 

この写真は、長崎医科大学のちかくにある “ 片足鳥居 ” と呼ばれる被爆遺構です。

神社の鳥居の大部分が 原爆による凄まじい爆風で吹き飛ばされ、今の姿になりました。

この “ 片足鳥居 ” でさえ、爆心地からは約0.8kmの距離がありました。

祖父が真面目に講義に出ていれば、きっと助からなかったでしょう。

 

生き残った祖父は救護活動に携わり、その後 産婦人科医になりました。

祖父は、息子である私の父に

「 皆勤するのが良いとは限らない 」

「 気がすすまないなら、サボっていい。一寸先は闇かもしれない 」

・・・などと言っていたそうです。

 

今回 綴った話は、その私の父が、祖父から聞いた話を書き留めていたものです。

  

私自身は祖父母から詳細な被爆体験を直接聞かされたことは 一度もありませんでした。

唯一、記憶に残っているのが、晩年に目を悪くした祖母が小さく呟いた一言です。

『 視界が暗いのは嫌。原爆を思い出すから。 』

普段の祖母は意地が悪いくらいに強気でパワフルな女性だったため、

ふと漏らした言葉と、弱々しい背中を見て とても驚きました。

そして、それ以上の話を聞きだそうと思えませんでした。

 

そんな祖父も、祖母も、父方・母方 含め、みな他界しました。

もう二度と話を聞くことはできません。

 

この夏は夫と息子2人を連れて 長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れ、

祖父母たちの名前も収められている ≪ 原爆死没者名簿 ≫ の前で祈りを捧げてきました。

 

無理に話を聞いて、心の傷をえぐることは したくなかったけれど、

それでも、互いに辛い思いをするかもしれないけれど、聞いておくべきだったのか――

今になって、いろんな思いが頭の中を巡りました。

 

今回、このようなかたちで祖父の話を綴ろうと思ったのは、

戦後80年の今年、RKKの呼びかけに たくさんの方が応えてくださったことに心を動かされたからです。

 

『 私たちが知らない “ 戦争 ” を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

実体験をもとにした証言、家族から伝え聞いた記憶・・・

多くのエピソードが寄せられるなか、

「 これまで誰にも話さなかったけれど、伝えなければ 」と意を決して連絡をくださった方もいらっしゃいました。

 

“ 思い出したくなかった ” とか “ 話してはいけない気がしていた ” など

複雑な気持ちを抱えて過ごしていらしたのかもしれないと想像しました。

その上で、今回 私たちの呼びかけに応じてくださったことに感謝が尽きません。

 

私も、家族が経験した “ 戦争 ” そして “ 被爆 ” を伝えなければと思いました。

戦後90年、100年、150年、もっと先の未来まで―――

戦争を体験した たくさんの人々 が 託してくださった 記憶 と 気持ち を、私たちも、つなぎます。

“ 長崎の記憶 ” を 熊本 で 語り継ぐ

この仕事をはじめて14年目になります、福居万里子です。

先日、光栄なことに 自らの “ 仕事 ” について表彰していただきました。

 

【 JRN・JNN アノンシスト賞 】

全国にあるJRN・JNN系列局のアナウンサーを対象に、

ナレーションや実況、フリートークなどの技術を評価するコンテストです。

昨年度の1年間に放送したものの中から優れた作品を部門ごとに表彰します。

 

2024年度 アノンシスト賞 全国審査で

ラジオ「 読み・ナレーション 」部門で最優秀賞をいただきました。

 

心から嬉しく思うとともに、今回の受賞を報告したい方がいました。

熊本市 の 深堀弘泰( ふかほり・ひろやす )さん です。

直接 お目に かかったことは ありません。

2022年に96歳で亡くなりました。

先日、ご遺族のお許しをいただき、御仏前にご挨拶とご報告をしてきました。

 

今回 受賞したのは、去年12月に放送した「 アナぐらむ 」内での朗読でした。

長崎で被爆し、その後 熊本に移り住んだ深堀さんの証言からつくられた

紙芝居『 被爆体験記 長崎原爆救援列車 』を私の声でお届けしました。

日本被団協がノーベル平和賞を受賞したのを機に、

私も長崎出身の被爆3世として、アナウンサーとして、

何かできないかと思い、企画したものでした。

 

原爆救援列車とは当時の国鉄の蒸気機関車で、

被爆直後に原子野と化した長崎市内と病院との間を何往復もし、負傷者を運びました。

ただ、その方々の多くは病院に着くまでの間に息を引き取ったといいます。

 

深堀さんは まさに この列車に乗り込み、救援にあたっていました。

その一方で、当時ご自身の家は爆心地のすぐ近くにあり、家族や親族を亡くしました。

このときの記憶を被爆証言として残し、熊本県被団協が紙芝居にしたのです。

 

( 救援列車の車輪はJR長与駅のロータリーで展示されています )

 

爆心地から3.5キロの場所で経験した恐怖

変わり果てた町や市民の姿を目の当たりにした衝撃

家族を亡くす悲しみ

放射能の影響で苦しみ亡くなっていく人を看取る悔しさ

 

深堀さんの記憶を追体験するような気持ちで読ませていただきましたが、

言葉を口にするだけでも非常につらいものがありました。

 

それでも、深堀さんの「 戸惑い 」や「 恐怖 」そして「 悲しみ 」と「 絶望 」を、

少しでもリスナーのみなさまに感じてもらえるよう、

私のふるさと・長崎の情景とこれまでに私が見聞きした被爆の実相を思い浮かべながら

ひとつひとつの言葉に感情をのせました。

 

感情をのせるために・・・細かい話をしますと、

たとえば “ 読み下す ” とか “ 鼻濁音 ” など、

ナレーションの基本とされる部分を無視して表現したところもありました。

 

それでも今回このようにして審査員のみなさまに認めていただけたこと、

そして何よりリスナーのみなさんや遺族の方々の心に届いたことは、

放送に向き合う自らの姿勢に対し背中を押していただけたような気持ちです。

 

 

( 熊本県被団協のみなさんも受賞を喜んでくださいました )

 

審査の過程で「 講評 」も届くのですが、つぎのような激励をいただきました。

 

“ これからも さらなる戦争体験の継承に 期待する ”

 

いま私たちRKKは戦争体験の募集と掲載、その音声化を進めています。

 

RKK特別サイト『 私たちが知らない 戦争 を教えてください 』

戦後80年。1945-2025|RKK熊本放送

 

被爆体験記を遺してくださった深堀さん や ご遺族、

そして 今回の受賞に恥じぬよう、ひとつひとつ 心を込めて 努めてまいります。

豪雨から5年 ~ 家族で訪ねる人吉・球磨村 ~

我が家は ほぼ毎週 休日は家族で県内各地をドライブします。

人吉・球磨地域に行くことも しばしば で、そのたびに球磨川の美しさに感動!

HASSENBAのテラスでは川下りの船越しに球磨川を眺めることができます。

人吉を象徴する景色で、私は大好きです。

 

一方で、街なかの電柱には過去の水害の記録と教訓が伝えられていて、

“ 忘れないで、球磨川 の もうひとつの顔 ” という言葉に はっとしました。

 

県南で過ごす時間は 純粋に楽しいのは もちろん ですが、

訪れるたびに自然の恐ろしさを思い出しますし、

橋や道路の復旧状況などを見て “ 復興の現在地 ” を知る機会になります。

 

球磨川沿いを走ると、護岸工事などの影響で 何度も う回路に誘導されます。

不便さを感じる一方で、新しい橋梁の工事現場に遭遇すると、

こうしたことも復興への大切なステップなのだと実感します。

 

そして、このブログでは たびたび綴っていますが、

私は鉄道ファンの家系で生まれ育ったので、どうしても肥薩線が気になってしまいます。

 

ねじれるように変形した線路 や 雑草に覆われた踏切。

肥薩線だけは、5年前の “ あの日 ” から、時が止まったまま です。

 

ただ、今回 初めて気づいたことがありました。

 

球磨村にある『 那良口( ならぐち )駅 』は いわゆる “ 無人駅 ” で、

肥薩線の復旧にあたっては 廃駅 になる方針だと伝えられています。

その那良口駅をぼんやりと対岸から眺めていたところ、

駅のホームにプランターがいくつか並んでいて、その中で花が咲いているのが見えました。

現在、那良口駅に列車が来ることはありません。

つまり、利用者もいないはずなんです。

JR九州 熊本支社の話では、

この駅の “ 名誉駅長 ” である女性が、ずっと世話をし続けているのだとか。

 

それを聞いて、胸が詰まりました。

 

被災地には、私が知らない、気づいていない景色と、

それに関わり、守る人たちがいて、たくさんの “ 物語 ” が あるのだと。

 

熊本市内から県南へむかうとき、高速道路を使うことが多くなると思うのですが、

もし時間が許すのなら、球磨川沿いをゆっくりと走ってみてほしいです。

 

( 球磨村・球泉洞で涼しいひと時を過ごすのもオススメ! )

 

それから――

いつもなら日帰りのところを、

豪雨から5年となる今回は、宿を予約して人吉に一泊することに!

“ 夜の空気 ” を感じてみたかったからです。

 

夕食には球磨川水系の支流のひとつ・胸川沿いに立つ店に入りました。

5年前の豪雨では「 球磨川 」がどうしても注目されますが、

実際には その支流こそが先に水があふれるなどして被害が拡大しました。

胸川も濁流となり、当時この店も被災していて、

また、5年前だけでなく それ以前にも川の恐ろしさを経験したそうです。

 

それでも この場所で店をつづける理由は――

直接お話を伺う機会こそありませんでしたが、

窓から見える川の流れや豊かな緑、心地よい鳥や虫の声といった魅力的な空気を感じれば、

理解できるような気がしました。

 

( アユの塩焼き、きじ刺し・・・どれも絶品です )

 

お腹を満たした後は、人吉の中心市街地を散策。

青井阿蘇神社はライトアップされていて、昼間とは違った雰囲気に。

 

JR人吉駅や鍛冶屋町通りでは人吉が舞台の『 夏目友人帳 』の影絵を鑑賞。

 

( 大学生のころから作品のファンなんです・・・! )

これらは【 人吉ひかりの復興プロジェクト 】といって、

光のチカラによって人と人とをつなぎ、人吉の魅力を磨き、

夜間の周遊を促そうというプロジェクトです。

 

夜に訪れた人吉の街は、飲食店がにぎわう声、散歩しながら交わされる会話、

そして 虫の声や川の水の音が交錯し、昼間とは少しちがう雰囲気でした。

 

あれだけ恐ろしいことが起こっても 多くの人が球磨川を憎んだり離れたりしないのは、
この場所での暮らしや文化、歴史が、いつの時代も 球磨川と ともに あったからなのでしょう。

 

人吉に泊まった翌日は、錦町 や あさぎり町、多良木町にも足を伸ばし、

球磨川と、その流域の街、いろんな表情を見ることができました。

 

ペンやカメラを持って “ 取材 ” で訪れるのと、

幼い息子と手をつなぎ ゆっくりと歩くのでは、

見えてくること、感じること、それぞれ違う “ 気づき ” が ありました。

これからも いろんな視点で 県内を見つめつづけようと思った旅でした。

豪雨から5年 ~ 八代市・坂本町での取材 ~

県南部を中心に甚大な被害がでた『 令和2年7月豪雨 』から5年が経ちました。

ことしの『 7月4日 』は、八代市 坂本町で過ごしました。

行き帰りの道中では、何台もの災害復旧車両や重機などとすれ違いました。

 

5年経ちましたが、復旧・復興は まだまだ です。

 

私には、坂本町に “ 会いたい人たち ” が いました。

 

大塚 松美さん と 前坂 通さん。

ふたりは、地元のみなさんでつくる店【 食処 さかもと 鮎やな 】のメンバーです。

球磨川でとれた鮎を使い、町の女性たちが腕をふるってつくる料理が人気でした。

 

店は豪雨で被災しましたが、道の駅のそばにつくられた復興商店街で復活。

私は2022年の夏に取材で訪れ、塩焼き に 唐揚げ、甘露煮・・・

 

それは もう お腹いっぱい に していただきました。

接客する みなさんの笑顔は輝いていて、

でも、テレビカメラを向けると 恥ずかしがって控えめになって・・・

そんな親しみやすい雰囲気に、たちまちファンになりました。

 

しかし、店周辺の かさ上げ が必要になり、ことし2月に再び休業に。

それからは 熊本市の商業施設で出張販売をするなど、

休みの間も 町の “ 元気印 ” として坂本町をアピールしたいと意気込んでいます。

 

この日 現場を訪れると、すでに更地になっていて、重機の音だけが響いていました。

店は、2年後の夏に再開することが決まっています。

しかし、その “ 2年 ” は、鮎やな の みなさんにとって決して短くありません。

店はシニア世代が中心となって立ち上げたもので、ほとんどが今では70歳以上です。

この2年の間に、体調面や暮らしなど・・・不安が多いといいます。

「 また みんなで、笑顔で会いたい 」

出張販売でお会いしたときには弾ける笑顔を見せてくださっていましたが、

更地になった場所と球磨川を見つめながら話す おふたりの顔には、いろんな感情が伺えました。

 

もうひとり 会いたい人がいました。

球磨川沿いで【 球磨川温泉 鶴之湯旅館 】を営む 土山 大典さん です。

旅館の佇まい や 窓から望む球磨川の景色は 本当に素晴らしく、ファンが多くいます。

 

 

鶴之湯旅館も、豪雨で被災し 一度は営業再開したのですが、

鮎やな と同じように かさ上げ が必要になり、休業中。

もともとは 豪雨から5年となる まさに この日に再開するはずでしたが、

昔ながらの構造を維持しながらの工事は予想以上に難しく、叶いませんでした。

ことしの秋には 必ず再開させたい! と意気込む土山さん。

再開を信じて すでに入っているという “ 宿泊予約 ” が背中を押します。

 

鮎やな の みなさん も、土山さん も、共通しているのは

『 待ってくれている人が いるから、頑張れる 』ということです。

私たちの取材クルーに対しても『 来てくれて うれしい 』と歓迎してくださいました。

その言葉・気持ちに報いるためにも、

私は これからも 坂本町をはじめとする さまざまな場所を取材し、伝え続けます。

 

そして――

“ 取材 ” ではなく、家族で旅する中でも 『 被災地 の “ 今 ”  』が見えてきました。

つぎの投稿で綴ります。

『 人生は よろこばせごっこ 』

熊本市現代美術館の「 やなせたかし展 」が、ついに閉幕しました。

なんと・・・会期中には5万7千人を超えるお客さまが来てくださいました!

ありがとうございました!!!

やなせさんの言葉を時間をかけて読みこむ人

弟への想い や 平和への願いに触れ、涙する人

原画の美しさを目に焼き付けようと作品の前に佇む人

そして、絵本を手にとって 子どもに読み聞かせる人・・・

 

本当に、世代を問わず愛された展覧会でした。

 

やなせさんの人柄は、会場でみなさんが感じられた通りです。

それだけに、関連イベントでも やなせさんの優しさが伝染したような、

温かい空気に包まれることが本当に多かったです。

( 朗読会に来てくださった みなさま と )

 

そして、イベントやコンサート、ラジオの特別番組など

何度も朗読させていただいた 絵本『 やさしいライオン 』。

この作品は、私の生涯における “ 宝物 ” になりました。

開幕前は表紙を見ただけで物語を思い出し涙ぐんでしまって・・・

泣かずに読み遂げられるだろうかと不安でしたが、

何度も何度も練習して、何度もみなさんに聴いていただけたことで

せつない物語に ただただ涙するのでなく、

やなせさんが伝えたかったという “ 愛と勇気 ” を感じながら

温かい気持ちで作品に向き合えるようになっていました。

( 物語の世界観を音楽で表現してくださった 正源司さん・兼武さん )

 

アンバサダー活動を通じ、会場にいらした たくさんのみなさまと

素敵な時間を共有できたことを、心から幸せに思います。

( いっしょに広報活動をした(?)息子たち! )

 

やなせさんが遺した作品や言葉は、私たちの心に生き続けます。

みなさまとやなせさんの熊本での “ 出会い ” が、

この先ずっと みなさまの心を温かく照らしつづけますように。

“ ひとは ひとを よろこばせることが いちばん うれしい ”

“ 人生は よろこばせごっこ だよ ”

ご来場ありがとうございました!

開幕!やなせたかし展

熊本市現代美術館に出現した、可愛くて大きな垂れ幕!

やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ 熊本展!

ついに!はじまりました~!

 

会場入り口では “ やなせうさぎ ” が お出迎え♪

人を おもてなし することが大好きだった やなせさん らしく、

タキシード姿で、ちょっと気取ったポーズのいで立ちです。

会場内の資料はカメラ撮影できないものが多いのですが、

この入り口付近は撮影OK!

いろんなポーズで記念写真を残してくださいね☆

( チケットの半券も めちゃくちゃ可愛くて・・・!自宅に飾っています )

 

開幕直前には「 NEWSゲツキン 」で展覧会の見どころを少しだけ お見せしました。

【 RKK NEWS DIG 】では 動画で ご覧いただけます♪

やなせたかし展 26日開幕! 熊本市現代美術館で6月30日まで | TBS NEWS DIG (1ページ)

 

きっと、訪れるたびに新たな発見があるはず――

何度でも遊びに来てくださいね◎

 

【 やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ 熊本展 】

4月26日(土)~6月30日(月)/熊本市現代美術館

やなせたかし展 – 開催概要

 

今後も ブログ や instagram で、展示内容 や 関連イベント・グッズ などを 紹介します♪

熊本地震から9年

福居万里子です。

阿蘇神社の近くに咲いていたサクラです。

今月11日まで開催中の『 阿蘇ちょうちん祭 』。

 

熊本地震の教訓と復興の想いをつなぐため、2年前に始まりました。

ちょうちんに下げられた短冊には、阿蘇のみなさんの願いがしたためられています。

夜になると、それはそれは 幻想的な雰囲気でした。

提灯の灯りには、全国で相次ぐ災害の犠牲者への鎮魂の祈りも込められています。

 

例年よりも長く咲いてくれたサクラの花は散り、新緑の季節に。

熊本地震から9年目の春が終わろうとしています。

今年もRKKのテレビやラジオで『 熊本地震 』を伝える中、

私も取材・放送に携わりました。

 

【 熊本城 】

「 NEWSゲツキン 」では 熊本城・本丸御殿、そして宇土櫓を取材しました。

本丸御殿といえば天守閣と並ぶ人気を誇る場所ですが、

地震による被害の複雑さ故に 修復方法の検討に時間がかかり、ほぼ手付かずの状態です。

それだけに自身の爪痕は生々しく、その一つ一つが胸に刺さるような感覚でした。

本丸御殿の復旧完了は2032年度を目標にしています。

RKK NEWS DIG で、リポートをご覧いただけます。

【カメラが潜入】熊本城「本丸御殿」は今、どうなっている? 実は復旧完了後も「立ち入り禁止」の場所がある | TBS NEWS DIG

 

また、宇土櫓では解体工事現場から中継。

約1年ぶりに工事現場に入りましたが、その変貌ぶりに驚きました。

復旧のために一度すべて解体している最中で、古い柱があらわに・・・!

外観上“ 比較的 被害が少ない ”と思われがちだった宇土櫓ですが、

ひとつひとつの柱を見ると、そのダメージはひどく、改めて地震のエネルギーを恐ろしさを感じます。

月に一度、特別公開も行われています。

シャチホコや瓦の展示など、今しか見られない姿を焼き付けてほしいです。

宇土櫓も、本丸御殿と同じ2032年度の完全復活を目指します。

 

【 よかもんね!ましき 】

熊本地震 本震が発生した日・4月16日は、

益城町の「 よかもんね!ましき 」から「 とんでるワイド 」の公開生放送。

この店は、9年前の地震発生直後、

従業員のみなさんも被災している中で 売り場の品を地域の人に放出したという逸話があります。

 

“ 困っている地域の人を助けたい、チカラになりたい ”

 

あのときの絆は今も消えず、地域の人を愛し、地域の人に愛される店です。

あのときのことを忘れないように。

そして、みんなで前を向けるように。

4月16日の『 復興未来市 』は驚きの価格で大売出し!

信じられないサービス価格に、私も思わず笑ってしまいました。

 

この日の放送では、私は防災士として『 パッククッキング 』を紹介しました。

食材と調味料をポリ袋に入れて、袋ごと湯せんで加熱。

出来上がったら、これまた袋から直接食べる!という災害時に便利な調理法です。

一度に複数のメニューを個別に作ることができるほか、

食材に手が触れる機会を減らして食中毒を防止し、

さらには、皿を洗う水も節約できる・・・災害時に便利な調理法です。

( 栄養・うま味を逃がさないというメリットも! )

 

我が家では2歳の長男にも食べさせました。

普段 食べ慣れている食事とは少し違う風味・食感でしたが、すんなり完食しました。

一度つくって、食べてみる、ということが大切です。

 

『 パッククッキング 』を紹介したコーナーはPodcastでお聞きいただけます。

福居万里子アナの~おかあちゃんのポケット・防災版~ 🥕冷凍野菜でつくるピラフ🥓 災害時の調理法!パッククッキング | radiko(ラジコ) | ラジオやポッドキャストがスマホ・PCで聴ける

 

 

【 避難訓練アプリ『 ひなんチャレンジ in ケングン 』 】

スマホアプリを使って、ゲーム感覚で避難訓練ができるという『 ひなんチャレンジ in ケングン 』を体験。

実在する町・健軍を舞台に街を歩くコンテンツで、

緊急地震速報 → 震度7の揺れ → 避難所へ!というシナリオをもとに行動します。

普段なら5分もかからない道のりですが、

助けを求める人に出会ったり、余震に襲われたり・・・

地震発生後の “ まさか ” を体験することで、いろんな発見や気づきがありました。

( シナリオを制作した黒瀬さんは県職員で災害対応経験も豊富! )

“ 防災って 難しそう ”、“ よく分からない ”という人にこそ!

無料でダウンロードできるので、ぜひ家族や友人と体験し、意見を交わしてみてください◎

 

▼『 ひなんチャレンジ in ケングン 』を体験するには

スマホアプリ「Lovatone(ロケトーン)」をダウンロード(無料)してください。

その中のコンテンツに「 ひなんチャレンジ in ケングン 」があります。

※位置情報を使用するため、実際に現地(健軍)に行かなければツアーを進めることはできません

※プレイ中は「歩きスマホ」にならないように注意してください

 

NEWSゲツキンでのリポートは こちらでご覧いただけます↓

ゲーム感覚で避難訓練!「ひなんチャレンジ」 避難所にたどりつくまで多難 | TBS NEWS DIG

 

 

熊本地震から9年――

9年前のあの日、私は熊本にいませんでした。

“ あの瞬間 ”を経験していないからこそ、これからも取材し、

≪ 熊本地震 ≫ を理解する努力を続けます。

 

愛と、勇気と、喜びと!

こどもたちのヒーロー、アンパンマン。

「 なにが きみのしあわせ? 」と口ずさみ、クレヨンを握れば自然と丸い顔を描く・・・

そんな幼少期の記憶、きっと みなさんにも あるのでは。

 

私にとって、アンパンマンは “ 日常 ” だったように思います。

 

その、アンパンマンの生みの親・やなせたかしさんが

生涯を通して紡いだ温かい世界を見つめる大規模展覧会

『 やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ 』

熊本市現代美術館で4月26日(土)に開幕します。

 

実はこの展覧会、全国各地を巡回するのですが、

なんと、熊本がスタートの地なのです!

 

そして・・・光栄なことに、その熊本展の【 公式アンバサダー 】に

私、福居万里子が任命されました!

「 あ、あんばさだー・・・? 」

最初に聞いたとき、そのオシャレな響きに面食らうと同時に、

そんな大役が私に務まるのかと、正直すこし戸惑ったのですが・・・

( アンバサダーとは分かりやすく言うと “ 宣伝大使 ” らしいです )

とても素敵な展覧会に携われると思うと胸が高鳴って、僭越ながら拝命いたしました。

さっそく、テレビ・ラジオのCMナレーションを収録し、すでに放送が始まっています♪

 

やなせたかしさんといえば、もちろん「 アンパンマン 」。

けれど、ほかにも数えきれないほどの名作・名曲・名デザインを残しました。

 

たとえば、誰もが一度は口ずさんだことのある曲のフレーズ

“ ぼくらは みんな 生きている 生きているから 歌うんだ ”

そう、この「 てのひらを太陽に 」も、作詞したのは やなせさん!

( 少し前までは、私も知らずに歌っていました! )

 

展覧会では そうした作品の数々を見つめるとともに、

やなせさん自身の姿も深掘りします。

 

期間中は展示だけでなく、絵本の読みがたり や ミニコンサートも♪

私もそれぞれの場面でナビゲートさせていただく予定です。

 

素朴だけれど胸に刺さる言葉の数々、

美しくも穏やかなタッチで描いた風景やキャラクターたち――

 

やなせさんが紡いだ あの温かい世界を、ぜひ一緒に冒険しましょう!

【 やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ 熊本展 】

4月26日(土)~6月30日(月)/熊本市現代美術館

やなせたかし展 – 開催概要

 

※アンパンマンのおもちゃは福居私物です

“ ゲツキン ” !!

福居万里子です。

最新ニュースから流行のグルメ、地域に伝わる歴史・伝統、レジャースポットまで・・・

あらゆる熊本の情報を取材し お届けしてきた『 夕方Liveゲツキン! 』が、

3月21日(金)にエンディングを迎えました。

 

ご存じなかったり、もうお忘れだったりする方も多いと思うのですが、

番組スタート時からの約4年間 MCを務め、

産休・育休を経て復帰してからも中継リポーター や 特集制作、

ナレーションなどで携わってきました。

番組は、令和という新時代の幕開けとともにスタート。

熊本城天守閣の復活、新阿蘇大橋の開通、

サクラマチクマモト や アミュプラザくまもと などの大型商業施設の誕生など

県民のみなさまと復興・発展の喜びを分かち合い、

 

新型コロナという未知の恐怖と混乱、豪雨災害など

県民のみなさまと困難に向き合ってきた6年間でした。

 

私自身にとっては、

 

“ 月曜日から金曜日まで ” しかも “ メインキャスター ” という重責と

経験と語彙力が豊富で、表情豊かな まさやんさん、田中洋平さん という

たくさんの県民に愛される おふたりの隣に座るワクワク感と

 

「 福居の気になる劇場 」という私の代名詞ともいえるコーナーで試行錯誤した時間と、

後輩たちへ託した想いと・・・

いろんな感情と思い出がつまった番組でした。

 

 

番組終了にあたっては、たくさんの労いの声が届いたと聞いています。

スタッフ一同、感謝の気持ちが尽きません。

“ 視聴者のみなさんと喜怒哀楽をともに ” という

私のアナウンサーとしてのモットーを体現した番組だったと、改めて感じます。

 

一方で、日々めまぐるしく世界は動き、熊本も変化しているように、

RKKの取材・放送も、歩みは止めません。

 

3月31日(月)からは、装いを新たに『 NEWSゲツキン 』が はじまります。

『 夕方Live 』の名前は変わりますが、

『 ゲツキン 』に込められた『 日々をみなさんとともに 』というスピリットは、

新しい番組へと受け継がれます。

 

この先もずっと、熊本のみなさんに愛されるニュースでありますように。

6年間、見守ってくださって ありがとうございました!

これからも よろしくお願いいたします。

 

新番組 『 NEWSゲツキン 』 は こちら!

NEWSゲツキン|RKK熊本放送

 

トミカ博 で 遊ぼう ♪

新年のご挨拶を申し上げます、福居万里子です。

2025年も、よろしくお願いいたします。

 

年が明けたら・・・と、楽しみにしていたイベントが、ついに はじまりました。

トミカ博 in KUMAMOTO!!!!

 

もうすぐ2歳になる息子を連れて初日に行ってきました♪

 

入場ゲートをくぐって会場内に入ると・・・

そこは まさに “ トミカ ワールド ” !!!!!

歴代トミカ展示は世代を超えて楽しめますし、

トミカ や プラレールシリーズを駆使して作り上げられた巨大ジオラマは圧巻です!

( 息子 も ご満悦 ♪ )

空港や警察署など、それぞれの施設の再現度も高い◎

フォトスポットも充実していて、記念撮影も楽しいですよ ♪

そして、今回のトミカ博の見どころのひとつ

≪ ツインコースやまみちスライダー ≫ には 人だかり が・・・

無数のトミカが駆け抜けるたびに歓声があがっていました!

息子を喜ばせたくて訪れましたが、

気がつけば私も( が? )めちゃくちゃ楽しんでいました(笑)

子ども も 大人 も 楽しめる!

“ トミカ ワールド ” へ、みなさん も 是非☆

【 トミカ博 in KUMAMOTO 】

1月13(月・祝)まで( 6~10日は 休み )

 

~ ちなみに ~

私たちが訪れたのは、開幕日の1月1日でした。

大人気のイベントといえど、さすがに元日なら混雑も少ないのでは!?と思い、

初日の出を見ながら身支度をして、家族で向かうと・・・

長蛇の列!!!!!

トミカの人気を甘く見ていました。恐るべし!

 

列に並ぶ間、息子が我慢できるか不安でしたが、実際に並んだのは20分ほど。

イベントの掲示物を眺めたり、お菓子を食べたりしていれば、あっという間でした。

ただ、外に並んでいる間の寒さ対策だけは万全にして行くのをオススメします!