カテゴリー別アーカイブ: 未分類

2014年6月6日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

恋よまわれ(Gira L’amore)/ジリオラ・チンクェッティ [1972年]

一つの曲の途中で「転調」する場合がありますね。この転調を
言葉だけで説明することは非常に難しいのですが、大まかに
言えば、「ドレミ」の音階を別の音階に置き換えることです。
音階が置き換わる(音の階段の段差が変わる)のですから、
そこで曲のムードも変わります。特に音楽理論などを学んだ
ことのない方でも、曲が転調すると「あっ、雰囲気が変わった」
と、きっと気付くはずです。今日はそういった、「途中で転調
する曲」をご用意したわけですが、実のところそういう曲は
とてもたくさん存在するのです。そこで今回は、その中でも
「たいへん分かりやすい転調をする曲」を選んでみました。
分かりやすい、気付きやすい転調には、大きく二種類あると
思われます。まずは、長調と短調が入れ替わる転調です。
長調は明るく、短調は暗い…、音楽の授業でもそのように
教わりましたね。このように、陽気なメロディーが急に悲しく
なったり、また元気に戻ったりする転調は分かりやすいですね。
もうひとつは、カラオケを歌う時のように、キーを上げ下げする
転調。曲の最後のサビのところで半音上がって盛り上げる…
というような転調は、みなさん聴き覚えがおありだと思います。
いま挙げた、「長調と短調が入れ替わる転調」と、「キーを
上げる転調」の両方が使われている曲を見付けましたので、
それをお持ちしました。かつて日本でももの凄い人気を誇った
イタリア人シンガー、カンツォーネ界のアイドル、ジリオラ・
チンクェッティの72年発表の作品「恋よまわれ」がそれです。

2014年5月30日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

Doc/Earl Klugh[1980年]

アール・クルーはアメリカのギタリスト。ジャンルと
してはジャズ・フュージョン、スムース・ジャズ系の
ミュージシャンで、ナイロン弦のアコースティック・
ギターの音色がこの人の特徴と言えるでしょう。
極めてナチュラルで透明感のある音作りに定評が
あり、70年代から80年代にかけて絶頂を迎えていた
フュージョンの世界を牽引し、ジャズをグッと身近な
存在にした立役者の一人としての功績は実に大きく、
まさに時代を象徴するサウンドの生みの親です。
また彼はキーボード奏者としても相当な実力を持ち、
そのために彼の作品にはキーボーディストらしさと
ギタリストらしさが同居しており、自在で巧妙なコードと
彩り豊かなメロディーは本当に印象的かつ魅力的です。
そんなアール・クルーの作品ゆえに、BGMなどとして
利用される機会も非常に多く、どなたにも気付かない
うちに耳馴染みとなった曲がきっとあるものと考えます。
今日はこのアール・クルーのぼう大な楽曲群の中から、
1980年発表のアルバム「Dream Come True」に収め
られている爽やかな作品「Doc」をお聴き頂きました。

2014年5月23日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

Yama-Ha/Humpe und
Humpe[1985年]

外国人のアーティストが日本のファンに向けて特別に
日本語で歌うという例が以前は散見されたものですが、
今日ご用意した楽曲は特に日本向けというわけではなく、
しかし歌詞が日本語で、おまけに一風変わった内容です。
Humpe
und
Humpeは西ドイツ(当時)の音楽ユニットで、
日本では「フンペ・フンペ」という名で紹介されていました。
姉アネッテ・フンペと妹インガ・フンペによる姉妹デュオで
あり、フンペ姉妹ということからフンペ・フンペなのです。
70年代末からそれぞれボーカリストとして活動していた
彼女たちですが、85年にこのユニットを結成し、この名義
唯一のアルバム「HUMPE・HUMPE」をリリースしています。
その中の一曲「Yama-Ha」(邦題:「これが人生だ」)は、
箏の音色などをフィーチャーしたジャーマン・テクノ・ポップ
となっており、その歌詞は当時の日本の企業名が淡々と
羅列されているという、まさにニューウェイブの面目躍如
とでも言うべき、シュールでユニークな珍妙さであります。

2014年5月16日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

マルチニーク/ピラニアンズ[1997年]

鍵盤ハーモニカという楽器がありますね。ピアニカ、
メロディオン、ピアニー、メロディカなどと商標名で
呼ばれることも多く、何と言っても小さなお子さんが
音楽の時間に演奏している姿を真っ先に連想します。
しかしこの楽器、一般的な認識よりもずっと表現力に
優れているため、プロのミュージシャンが演奏に用いる
場合も決して少なくなく、キーボード奏者が持ち替え用
の楽器としてこれを使用するケースがよく見られます。
更には、鍵盤ハーモニカを専門としているアーティストも
いらっしゃいます。ピアニカ前田氏もその一人で、40年
近くのキャリアを持つベテラン鍵盤ハーモニカ奏者です。
今朝は、このピアニカ前田氏率いる「ピラニアンズ」の、
1997年発表のアルバム「富士山リバーブ」に収録された
のどかで楽しい一曲「マルチニーク」をお送りしました。

2014年5月9日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

Philosophy of the World/The Shaggs[1969年]

大型連休もあっという間に過ぎていきましたが、休みゆえに
かえって疲れが溜まってしまったという方も多いと思います。
そこで今朝は、何も考えず、なすがままにただボーッと聴いて
頂ける選曲をと思い、ご用意しましたのはザ・シャッグスの曲。
ザ・シャッグスはアメリカで結成された姉妹3人によるバンド。
お父上の突然の思い付きで、自分の娘3人にバンドを組ませる
ことにしたのですが、彼女たちはそれまで楽器の経験は無し。
それでも各々ギター、ベース、ドラムを担当し、大好きなパパの
指示通りにグループを結成します。音楽活動を始めることは
彼女たちにとっても満更ではなく、ノリノリで演奏し、そして歌い、
ついには自分たちで作詞作曲した完全オリジナルの楽曲ばかり
12曲を収録というフルアルバムを1969年にリリースしたのです。
演奏も歌も全くの素人であり、技術的にどうこう言うレベルでは
ない代物だということをあらかじめご承知置き下さい。しかし、
彼女たちが如何に真剣に、そして楽しみながら音楽と向き合って
いたか、ひしひしと伝わる音源であることは間違いありません。
今なお聴く者に衝撃を与え、発表から45年を経た現在でもCDで
手に入るという事実こそが、彼女たちが愛されている証拠です。

2014年5月2日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

ファミリー・ランド/向谷 実[1985年]

いよいよ大型連休の後半に突入しますが、この機会に
ご家族揃って行楽へという方もきっと多いことでしょう。
それに因んで今回ご用意しましたのは「ファミリー・ランド」
という楽曲。向谷実氏のソロアルバムに収録されています。
向谷氏と言えば、日本を代表するフュージョングループの
ひとつに数えられる「カシオペア」のオリジナルメンバーと
してあまりにも有名です。キーボード奏者として長らくこの
バンドの音楽性の中核をなし、またライブ会場においては
明るく軽妙な語り口のMCぶりを発揮し、このことから
「司会屋 実」の愛称で呼ばれる、人気の高い存在でした。
また早くから実業家としての才能を見せ、1984年には自ら
音楽スタジオを設計し、その運営を始めます。これは単なる
マイスタジオではなく、れっきとした商業用の録音施設でした。
そしてこの方は鉄道マニアとしても名高く、その趣味が高じて
鉄道シミュレーションゲームを開発、事業化に成功しました。
他にもネットを活用した音楽制作プロジェクト「向谷倶楽部」
の活動など、今もなお多方面で新たな試みを続けています。
そんな向谷氏が、カシオペア在籍時の1985年に制作した
一人多重録音によるソロアルバム「ミノル・ランド」。「ファミリー・
ランド」はそのB面に収録された、ほのぼのとしたナンバーです。

2014年4月25日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

ワインレッドの心/安全地帯[1983年]

歌謡曲・ニューミュージック系の作品における歌詞は、
短いフレーズをたくさん並べて構成されているものが
基本だと言えます。メロディーに、そしてリズムに
歌詞を乗せやすくし、そして時には韻を踏むなどの
技巧を凝らすために短い語句を連ねるという手法で、
特にサビの部分などはそこだけ英語のフレーズが
飛び出したり、同じ語句を繰り返してみたりします。
つまりブツ切りの語句で小気味よさを表現するのです。
しかし、今日お持ちした1983年発表の大ヒット曲は、
歌詞が「長い文章」で書かれています。その曲は、
安全地帯の「ワインレッドの心」。週間チャート1位を
記録するなど、彼らの代表曲に数えられます。この曲、
1番がひとつの文、2番がひとつの文、最後の繰り返し
がひとつの文、合わせて3つの長い文章で構成されて
いるのです。ご存知の通り、文章は「句読点」を用いて
区切りが示されますが、この作品の歌詞は1番、2番、
最後のリフレインそれぞれ、途中はすべて「読点(てん)」
で繋がり、終わりにのみ「句点(まる)」が打てるのです。
ただし2番とリフレイン部分は「倒置法」という表現法が
使われており、(倒置法の例:「咲いたよ、花が。」)直前で
文章が終わっているように思わせるものの、やはり最後に
しか「まる」が打てない構造となっており、実に巧妙です。
ちなみに、作詞はあの井上陽水によるもの。似た例が
極めて少ないと思われる歌詞のニューミュージックです。

2014年4月18日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。


テネシー・ワルツ/パティ・ペイジ[1950年]

録音のテクニックとして、多重録音というものがあります。
重ね録り、オーバー・ダビングなどとも呼ばれ、これによって
実際の生演奏では決して表現できない音作りが可能に
なります。例えば一人の歌手によって二重唱や三重唱などの
ハーモニーを実現したり、一人であらゆる楽器を録音して
「ひとりバンド」を可能にしたり…などなど、この多重録音を
利用することで音楽の表現がグンと広がることになります。
多重録音という手法が比較的手軽に行えるようになったのは
テープレコーダーの普及によるものです。ご存知の通り、
それまでのレコーディングといえばSPレコードの一発録りで
編集もままならないため、多重録音などはポピュラー音楽の
世界では非実用的でした。しかしテープレコーダーの登場に
よってそれは可能となり、いち早く40年代末にギタリストの
レス・ポールがこの録音テクニックを用い始めたのでした。
そして50年、それまで一般の音楽ファンには全くと言って
いいほど認知されていなかったこの多重録音という手法を、
世界的に知らしめることになった大ヒット曲が誕生します。
それがパティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」です。一人による
二重唱は聴き手に大きな驚きと感動を与えました。前述通り
この頃の人々は「重ね録り」などという概念を持っておらず、
そのためこの不思議なレコードを前にして「声がそっくりな
二人が歌っている」「双子ではないか」「一人でハモる特殊な
歌唱法があるのでは」など、様々な憶測も飛び交ったようです。

2014年4月11日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

春の野・山の祭/増永丈夫(藤山一郎)[1921年]

今回は童謡歌手、増永丈夫少年の音源をご用意。
1921(大正10)年の録音で、10歳頃と思われます。
「春の野」「山の祭」という童謡がレコードの片面に
2曲続けて収録されており、勿論これは編集なしで、
実際に録音する時にも2曲通して歌ったものです。
SPレコードには、比較的新しい「電気録音」時代と、
初期の「アコースティック録音」時代があります。
「電気録音」とは現在と同じく音声をマイクロフォンで
電気信号に変えて録音機材へ伝送する方式です。
一方「アコースティック録音」は「ラッパ吹き込み」とも
呼ばれる簡素な方式で、蓄音機の逆の原理です。
朝顔型のラッパに直接音声を吹き込み、その振動で
原盤に溝を刻み込んで録音する、という方法です。
後者のレコードは音質が良くない上に音量も小さく、
そのため相対的に雑音が目立つことになります。
歌唱や演奏に当たっては、とにかく「大きな音」で
吹き込むことを余儀なくされ、負担だったとのこと。
この増永少年の録音もアコースティック録音による
ものであるため、お聴き苦しい点をご了承下さい。
さて、先程から「増永少年」などと呼んでおりますが、
彼こそ、のちの昭和を代表する大歌手、藤山一郎
その人なのであります。これは実に貴重な録音です。

2014年4月4日 我等音楽マサイ族

私ことまさいよしなりが今週お持ちしたのはこちらです。

Clock Strikes Ten/Cheap Trick(1977年)

新年度に入りまして、程なく新学年の新学期がスタート
するということで、今回は学校に関するネタでございます。
多くの学校で使われていると思われるチャイムの音、
「キーンコーンカーンコーン…」というメロディー、あれは
ロンドンにありますビッグベンが鳴らす鐘の音でして、
「ウェストミンスターの鐘」と呼ばれているものなんです。
そしてこのチャイムが曲の中に登場する作品として思い
浮かぶのがチープ・トリックの「Clock Strikes Ten」です。
日本では「今夜は帰さない」という邦題で知られています。
チープ・トリックは1977年にデビューしたアメリカのロック
バンドで、実は日本とは少なからぬ縁があるのです。
デビュー後3枚のアルバムを発表するもヒットせず、本国
では全く無名であった彼らでしたが、唯一日本でだけは
人気が高まりました。そのために実現した来日公演の
模様が、ライブ盤「チープ・トリック at 武道館」という形で
78年に日本限定でリリースされたのですが、このレコード
が本国アメリカへ逆輸入され評判となっていき、79年には
アメリカでも正規盤として発売され、これが何と全米4位
という大ヒットを記録し、ついに本国でも彼らの名が一躍
知れ渡ることになったのでした。「Clock Strikes Ten」は
このライブ盤にも収められている人気曲で、初出はセカンド
アルバム「In Color(蒼ざめたハイウェイ)」(1977年)です。
当時「パワー・ポップ」と呼ばれた彼らのサウンドをどうぞ。