今朝は
寒さに負けず
早起きして
シンガーソングライターのMICAさんが
さんさんシャワーのコーナーに
ご出演いただきました〜〜v(^_^v)♪
MICAさん
クリスマスライブ頑張ってね。
12月3日(水)お届けした音楽は、
♫ チャイニーズ スープ / 荒井 由実
♫ 二人の道~アンサーソング~ / MICA
♫ We Will… / MICA
♫ ジェット / ポール マッカートニー & ウィングス
♫ 大切な人 / 大塚 愛
恋はピンポン/リチャード・クレイダーマン [1978年]
リチャード・クレイダーマンはご存知の通りここ日本でも
大変よく知られているイージーリスニング系のピアニスト。
1976年に母国フランスでレコードデビューを果たすと、
まず当時の西ドイツでチャートの1位に輝き、その人気は
やがてヨーロッパ各国へ、次いで日本にも及びました。
彼の音楽に対して我々が持っているイメージは、「ピアノの
貴公子」とも呼ばれているように、やはり「オーケストラを
従えた流麗でリリカルなピアノの音色」に尽きると思います。
しかし意外かも知れませんが、彼は活動初期の頃には
シンセサイザーによる演奏をメインとする楽曲も数多く
手掛けています。特に77年発表のデビューアルバムでは
全11曲中実に4曲がこのタイプの作品となっています。
そこで今朝は、「ピアノの貴公子」によるシンセ作品の中から
「恋はピンポン(Ping Pong Sous Les Arbres)」をお聴き
頂きました。まさかリチャード・クレイダーマンの楽曲だとは
気付かずに聴いていらっしゃった方もおいでのことでしょう。
里の秋/(初代)コロムビア・ローズ [1961年]
暦の上ではとっくに冬を迎えている訳なんですけれども、
現在熊本県内各地では、早いところでは紅葉も終わりを
迎えているのをはじめ、それぞれの場所で順に見頃となって
いるとのことですね。まさに晩秋ということで、このコーナー
でも「秋」にまつわる曲をご用意しました。童謡「里の秋」です。
この楽曲はそもそも1941(昭和16)年に、教師であり作詞家の
斎藤信夫によって、「星月夜(ほしづきよ)」の題で詞が書かれ
たものが元となっており、それを1945(昭和20)年に改作し、
作曲家の海沼實が曲を付け、童謡歌手の川田正子が歌い、
同年にラジオを通じて全国に放送されました。
引揚げ船に乗って復員してくる父を恋しく思いつつ、母子で
淋しくその帰りを待つ心情が歌詞に込められており、戦後の
混乱の中で同じような思いを抱いていた多くの人々にとって
この歌は慰めとなり、共感をもって受け入れられたのでした。
この「里の秋」を、1961(昭和36)年に当時の大スターである
初代コロムビア・ローズが吹き込んだという珍しいバージョンが
残されていますので、今朝はその音源をお聴き頂きました。
バッハ作曲: カンタータ29番「神よ、我ら汝に感謝す」より
第1曲「シンフォニア」/ウォルター(現・ウェンディ)・カーロス
実用的なシンセサイザーの草分け的存在と言えば、やはり
アメリカのロバート・モーグ博士が開発し、1964年に発表
された「モーグ・シンセサイザー」でしょう。これが登場すると
様々なアーティストがその全く新しい、既存の楽器とは完全に
異なる音色を、曲の中に実験的に採り入れ始めたのですが、
そんな状況の中、楽器としてのシンセサイザーの魅力と
可能性を世界的に知らしめることとなったレコードが68年に
リリースされました。それが、ウォルター・カーロスのアルバム
「スイッチト・オン・バッハ」です。タイトルが示す通り、バッハの
楽曲をモーグ・シンセサイザーで演奏したものなのですが、
実はこれ、まことに大変な労力の末に完成された作品なのです。
現在のシンセのように、ボタンひとつで音色を切り替え、鍵盤に
触れれば和音が奏でられる…という簡単便利なものではなく、
当時のアナログシンセはモジュラーのつまみをひとつひとつ
回しながら欲しい音色を一から作り、しかも単音でしか演奏
することが出来ないというシロモノでした。ですから、それを
知らずにこの「スイッチト・オン・バッハ」を聴けば、今の感覚で
言えば「ありふれた電子音楽」と思うかも知れませんが、まず
音色を作り、そして単音で演奏し、それを地道に多重録音して
作り上げていく…というのは、実に気の遠くなる作業なのです。
この「未来のサウンドで奏でられるバッハ」は大反響を呼び、
ミリオンセラーを記録しています。ちなみにウォルター・カーロス
はのちに女性となり、名前もウェンディとしました。現在では、
全てのアルバムはウェンディの名で再リリースされています。
The Tombi (夕焼けトンビ)/MITCHIE (三橋美智也) [1979年]
70年代から80年代にかけて訪れた「ディスコブーム」の嵐。
当時の和製ポップスも挙ってディスコアレンジを採り入れ、
そればかりか既存の楽曲までもディスコ風味にリメイクされ
次々とリリースされていくという、もの凄いムーブメントでした。
その波は大御所と呼ばれる押しも押されもせぬ人達にも及び、
今日ご用意した三橋美智也の音源もその中のひとつです。
「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタよろしく、
白のスーツに黒いシャツといういでたちでポーズを決める
御大の姿がジャケット写真を飾っている1979(昭和54年)の
シングル盤には、昭和30年代にヒットさせた「夕焼けとんび」と
「達者でナ」がディスコサウンドに生まれ変わった新バージョン
で収められています。しかし朗らかな民謡スタイルの歌声は
ここでも健在で、和洋折衷の奇跡的なサウンドが展開します。
当の三橋氏はこの流れを好意的に受け止めていたようで、
この際に作られた自身のキャラクターを活かしてラジオDJや
CM出演など活躍の場を広げ、本来のファン層ではない若い
世代にも人気を博し、支持を集めるようになったのでした。
フェリックス・スラットキン指揮、ハリウッド・ボウル交響楽団
/グロフェ(作曲): ミシシッピー組曲より「マルディ・グラ」
[作曲:1926年、録音:1956年]
「芸術の秋」ということで、今朝はクラシックの音源をご用意
したのですが、このジャンルとしては新しい、1926年の作品。
「ミシシッピー組曲」という、全4曲からなるオーケストラの
ための組曲です。演奏時間は全編通して13分程度であり、
比較的コンパクトな小品。「音の旅(A Tone Journey)」と
いう副題が付いており、ミシシッピー川流域の風景や自然、
またそれらにまつわる歴史や逸話などを音楽で表現したという
実に壮大でドラマティック、そして映像的で美しい音楽となって
いまして、とても分かりやすく敷居の低い作品と言えるでしょう。
これを作曲したファーディ・グロフェはアメリカ生まれの音楽家で、
この作品の他にも「ハリウッド組曲」「ナイアガラ大瀑布組曲」
「デス・ヴァレー組曲」など、アメリカ各地の名所を題材にした
作品を数多く手掛けています。特に「グランド・キャニオン組曲」は
広く知られており、日本では音楽の教科書でも採り上げられて
いますので、耳にしたことのある方もきっと多いと思います。
ジョージ・ガーシュウィンの代表作「ラプソディ・イン・ブルー」、
そのオーケストラ版の編曲もグロフェの偉大な仕事のひとつで、
これらのようなシンフォニック・ジャズやセミ・クラシックの分野で
数々の功績を残している、親しみやすい音楽家なのです。
Oh! SUSHI (「スシ食いねェ! 」英語バージョン)/シブがき隊 [1986年]
ヒット曲の外国語バージョンが制作される…ということは、
かねてより世界中でよく行われていました。その理由は
ほとんどの場合、アーティストの人気を本国だけに留める
のではなく、外国語で歌うことで他言語圏のファンを更に
獲得するためであり、また諸外国の既存ファンに向けた
サービスという面もある、マーケティングの一手法でした。
その意味から言っても、作られるべき外国語バージョンは
オリジナルの雰囲気を壊さない、あるいはアーティストの
イメージに沿ったものが完成されてしかるべきでありましょう。
しかし中にはそういった「外国への進出」が目的ではない
「外国語バージョン」が制作されることがあります。それは、
いわゆる「別バージョン」「スペシャルバージョン」のような
意味合いで作られる場合です。そういう例のひとつとして、
シブがき隊がシングルで発表した「Oh! SUSHI」という曲が
挙げられます。これは彼らが86年2月にリリースしてヒットした
「スシ食いねェ!」の英語版で、オリジナルの2ヶ月後、86年
4月に発売されました。そもそも「スシ食いねェ!」自体がとても
コミカルでノベルティ性の高い楽曲でしたので、その続編と
いうような趣で、あれこれの歌詞を英語にして遊んでみました…
と、これもひとつのファンサービスというわけでありました。
Soul Bossa Nova/Quincy Jones [1962年]
クインシー・ジョーンズはアメリカを代表する音楽家。
今や一般的には超大物プロデューサーという認識ですが、
当初はビッグバンドのトランペット奏者としてキャリアを
スタートさせています。1950年代の初めのことです。
そこでアレンジャーとしての才能を開花させ、次第に
様々な作品に関わりヒットを生むようになっていきます。
81年の「愛のコリーダ」のヒットや、マイケル・ジャクソン
をプロデュースして大成功を収めるなど数々の桁外れの
快挙を成し遂げてきたクインシー・ジョーンズですが、
今日ご用意した「ソウル・ボサ・ノヴァ」は、60年代に
入って彼がプロデューサーとして活動し始めた時期に
発表された、初期の代表曲としてよく知られています。
ボサ・ノヴァは50年代にアントニオ・カルロス・ジョビン、
ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ジ・モライスといった
面々が中心となって生み出されたと言われています。
伝統的なサンバを、都会的で洗練させたサウンドに
磨き上げたボサ・ノヴァは、59年の映画「黒いオルフェ」
の音楽として使用され、世界的に広まっていきました。
その新しいサウンド「ボサ・ノヴァ」を、ビッグバンドアレンジ
でクインシー風に料理したのが「ソウル・ボサ・ノヴァ」です。
Children/Robert Miles [1996年]
今日はこのコーナーとしては比較的新しく作られた、1996年の
曲をご用意しました。そうは言っても18年前の作品でございます。
ヨーロッパ出身のミュージシャン、ロバート・マイルズは、ハウス・
テクノと呼ばれるジャンルで活躍する作曲家、プロデューサーです。
そもそもハウス・ミュージックというのは、既存のソウルミュージック
のレコードの音にリズムマシンのビートを乗せ、ダンス・ミュージック
として作り上げていくという、ミックスの手法のことを指していました。
やがてそれは電子楽器を大きくフィーチャーしたダンスミュージック
全般を指すようになっています。このようなエレクトロニック・ダンス・
ミュージックのジャンルは流行していく過程で様々に細分化しており、
テクノ、アシッド・ハウス、トランス等々、現在では際限なくジャンル
分けされていて、愛好家でも混乱しているであろうという現状です。
ロバート・マイルズの「Children」も、そういったジャンルの役目、
クラブで踊ることを前提として作られた曲なのですが、そんな中で
彼は強調されたビートの上にも印象的なピアノの音を盛り込むなど、
音楽そのものをいかに美しく響かせるか…という点にこだわっています。
ハウス・テクノの特徴である「四つ打ち」(1小節に4回オン・ビートで
バスドラムを踏むリズム)と、きらめくメロディとの対比が聴きどころです。