月別アーカイブ: 2014年11月

2014年11月28日 我等音楽マサイ族

恋はピンポン/リチャード・クレイダーマン [1978年]

リチャード・クレイダーマンはご存知の通りここ日本でも
大変よく知られているイージーリスニング系のピアニスト。
1976年に母国フランスでレコードデビューを果たすと、
まず当時の西ドイツでチャートの1位に輝き、その人気は
やがてヨーロッパ各国へ、次いで日本にも及びました。
彼の音楽に対して我々が持っているイメージは、「ピアノの
貴公子」とも呼ばれているように、やはり「オーケストラを
従えた流麗でリリカルなピアノの音色」に尽きると思います。
しかし意外かも知れませんが、彼は活動初期の頃には
シンセサイザーによる演奏をメインとする楽曲も数多く
手掛けています。特に77年発表のデビューアルバムでは
全11曲中実に4曲がこのタイプの作品となっています。
そこで今朝は、「ピアノの貴公子」によるシンセ作品の中から
「恋はピンポン(Ping Pong Sous Les Arbres)」をお聴き
頂きました。まさかリチャード・クレイダーマンの楽曲だとは
気付かずに聴いていらっしゃった方もおいでのことでしょう。

2014年11月21日 我等音楽マサイ族

里の秋/(初代)コロムビア・ローズ [1961年]

暦の上ではとっくに冬を迎えている訳なんですけれども、
現在熊本県内各地では、早いところでは紅葉も終わりを
迎えているのをはじめ、それぞれの場所で順に見頃となって
いるとのことですね。まさに晩秋ということで、このコーナー
でも「秋」にまつわる曲をご用意しました。童謡「里の秋」です。
この楽曲はそもそも1941(昭和16)年に、教師であり作詞家の
斎藤信夫によって、「星月夜(ほしづきよ)」の題で詞が書かれ
たものが元となっており、それを1945(昭和20)年に改作し、
作曲家の海沼實が曲を付け、童謡歌手の川田正子が歌い、
同年にラジオを通じて全国に放送されました。
引揚げ船に乗って復員してくる父を恋しく思いつつ、母子で
淋しくその帰りを待つ心情が歌詞に込められており、戦後の
混乱の中で同じような思いを抱いていた多くの人々にとって
この歌は慰めとなり、共感をもって受け入れられたのでした。
この「里の秋」を、1961(昭和36)年に当時の大スターである
初代コロムビア・ローズが吹き込んだという珍しいバージョンが
残されていますので、今朝はその音源をお聴き頂きました。

2014年11月14日 我等音楽マサイ族

バッハ作曲: カンタータ29番「神よ、我ら汝に感謝す」より
第1曲「シンフォニア」/ウォルター(現・ウェンディ)・カーロス

実用的なシンセサイザーの草分け的存在と言えば、やはり
アメリカのロバート・モーグ博士が開発し、1964年に発表
された「モーグ・シンセサイザー」でしょう。これが登場すると
様々なアーティストがその全く新しい、既存の楽器とは完全に
異なる音色を、曲の中に実験的に採り入れ始めたのですが、
そんな状況の中、楽器としてのシンセサイザーの魅力と
可能性を世界的に知らしめることとなったレコードが68年に
リリースされました。それが、ウォルター・カーロスのアルバム
「スイッチト・オン・バッハ」です。タイトルが示す通り、バッハの
楽曲をモーグ・シンセサイザーで演奏したものなのですが、
実はこれ、まことに大変な労力の末に完成された作品なのです。
現在のシンセのように、ボタンひとつで音色を切り替え、鍵盤に
触れれば和音が奏でられる…という簡単便利なものではなく、
当時のアナログシンセはモジュラーのつまみをひとつひとつ
回しながら欲しい音色を一から作り、しかも単音でしか演奏
することが出来ないというシロモノでした。ですから、それを
知らずにこの「スイッチト・オン・バッハ」を聴けば、今の感覚で
言えば「ありふれた電子音楽」と思うかも知れませんが、まず
音色を作り、そして単音で演奏し、それを地道に多重録音して
作り上げていく…というのは、実に気の遠くなる作業なのです。
この「未来のサウンドで奏でられるバッハ」は大反響を呼び、
ミリオンセラーを記録しています。ちなみにウォルター・カーロス
はのちに女性となり、名前もウェンディとしました。現在では、
全てのアルバムはウェンディの名で再リリースされています。

2014年11月7日 我等音楽マサイ族

The Tombi (夕焼けトンビ)/MITCHIE (三橋美智也) [1979年]

70年代から80年代にかけて訪れた「ディスコブーム」の嵐。
当時の和製ポップスも挙ってディスコアレンジを採り入れ、
そればかりか既存の楽曲までもディスコ風味にリメイクされ
次々とリリースされていくという、もの凄いムーブメントでした。
その波は大御所と呼ばれる押しも押されもせぬ人達にも及び、
今日ご用意した三橋美智也の音源もその中のひとつです。
「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタよろしく、
白のスーツに黒いシャツといういでたちでポーズを決める
御大の姿がジャケット写真を飾っている1979(昭和54年)の
シングル盤には、昭和30年代にヒットさせた「夕焼けとんび」と
「達者でナ」がディスコサウンドに生まれ変わった新バージョン
で収められています。しかし朗らかな民謡スタイルの歌声は
ここでも健在で、和洋折衷の奇跡的なサウンドが展開します。
当の三橋氏はこの流れを好意的に受け止めていたようで、
この際に作られた自身のキャラクターを活かしてラジオDJや
CM出演など活躍の場を広げ、本来のファン層ではない若い
世代にも人気を博し、支持を集めるようになったのでした。