今日は、すみママがインフルエンザA型でお休みです。
アシスタントにはマサイさんが番組スタートから登場してくれています。
皆さん、体調管理には十分お気お付けくださいね。
今日お届けした曲は、
♫ 地上に降りた天使 / 水谷 麻里
♫ ハッピー / ファレル ウィリアムス
♫ Moon And Me / Nicolette Larson
♫ FLY / ファンキー加藤
Moon And Me/Nicolette Larson [1994年]
今回は、「ウエストコーストの歌姫」とも呼ばれた
アメリカのポップ・シンガー、ニコレット·ラーソンの
楽曲をご用意しました。リンダ・ロンシュタットの
妹分として1978年にデビューを飾った彼女は、
ニール・ヤングのカバー「Lotta Love(溢れる愛)」で
いきなり大ヒットを記録します。収録アルバム
「Nicolette(愛しのニコレット)」も、前述のリンダを
筆頭にリトル・フィートやドゥービー・ブラザーズと
いった西海岸ロックの一流アーティストが挙って
サポートし、ゴールドディスクに輝いています。
R&Bやカントリーなどの要素もふんだんに盛り込み
天才シンガーとして大活躍を見せていた彼女ですが、
88年をもってに一旦ソロ活動から距離を置きます。
そして94年、6年ぶりにリリースされたのが「Sleep,
Baby, Sleep」。「親と子供が一緒に楽しむ音楽」と
いう触れ込みで発表されたこのアルバムは、愛情に
満ちた穏やかなサウンドが散りばめられており、
寄り添うように心を込めて歌うニコレットの声が
余りにも印象的な、愛おしく美しい彼女の遺作です。
今朝はその中から「Moon And Me」をオンエア。
白銀は招くよ/トニー・ザイラー [1959年]
トニー・ザイラーは1950年代に活躍したオーストリアの
スキー選手で、56年の冬季五輪ではアルペン競技で
3つの金メダルを獲得するなど世界のトップに君臨して
いました。そんな時、かねてからイケメンとしても注目を
集めていた彼は57年にドイツ映画への出演依頼を受け、
俳優として華々しいデビューを飾りました。ところがこの
行為がアマチュア資格の規則に抵触するとされ、60年の
冬季五輪に参加できなくなってしまったため、彼は58年の
シーズンを最後に22才の若さで現役スキーヤーを引退、
その後は本格的に俳優に転向し、歌手としても活動する
ことになったのです。この頃制作されたオーストリア映画
「白銀は招くよ!」の主題歌こそが今朝ご用意した曲で、
主演のトニー・ザイラー自身が歌って話題となりました。
ここ日本では今なおこの曲は冬やウィンタースポーツを
イメージさせるスタンダードナンバーとして知られています。
なおこの人は選手引退後にスキーとの縁が切れてしまった
訳ではなく、世界各地のスキー場やコースの設計を手掛け
たり、のちにオーストリアのナショナルチームの監督を務め
るなどアルペンスキーのために多大な貢献を続けました。
ドント・ノック・マイ・ラヴ(パート1)/ウィルソン・ピケット [1971年]
今朝はソウル・ファンク系の作品をご用意したのですが、
採り上げるアーティストはアメリカのソウル・R&Bシンガー
であるウィルソン・ピケット。彼はまず1950年代の末頃に
ゴスペルシンガーとしてデビューしているのですが、のちに
ソウルミュージックの世界で大活躍することになります。
64年にアトランティック・レコードと契約を結ぶと、現在でも
R&Bのスタンダードナンバーとして広く親しまれている
「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」「ダンス天国」などをヒット
させました。そんな彼が遺した楽曲の中から今日は
「ドント・ノック・マイ・ラヴ」をお聴き頂きましたが、実は
この曲、往年の人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」の
聖歌隊のコーナーで人気を博した「ドリフの早口ことば」
の元ネタでして、伴奏がほぼそのまま引用されています。
カンドレ・マンドレ/アンドレ・カンドレ [1969年]
今日ご用意しましたのは、69年にリリースされた
アンドレ・カンドレのデビュー曲です。ご存知の方も
多いことと思いますが、このアンドレ・カンドレと言い
ますのは、井上陽水が最初にメジャーデビューを
飾った際の名前です。
学生時代にビートルズの音楽に熱中し、その後
フォークルの「帰って来たヨッパライ」に触発されて
地元福岡のラジオ番組に自分の曲を持ち込み、
素人の音楽紹介コーナーでオンエアされました。
さもその反響があったかのように思わせるため、
友達に頼み込んで局にリクエストのハガキを出して
もらったことが功を奏し、あれよあれよという間に
当時のCBSソニーからデビューすることになりました。
芸名はラジオで紹介された時のまま「アンドレ・カンドレ」、
そしてデビュー曲は「カンドレ・マンドレ」という、どちらが
どちらなのか分からない珍妙なシングル盤でした。
アンドレ・カンドレ時代には合わせて3枚のシングルが
リリースされましたが、いずれも全く話題になることは
ありませんでした。彼が72年に、「井上陽水」の名で
アルバム「断絶」によって注目され始めるまでには、
もう少し時間が必要だったのです。
ルイジアナ・ママ/飯田久彦 [1962年]
今朝は日本で人気の高いオールディーズ・ナンバー
「ルイジアナ・ママ」をご用意しました。この曲は、
アメリカのシンガー・ソングライターであるジーン・
ピットニーが発表した2枚目のシングル曲なのですが、
実は本国アメリカでは全く鳴かず飛ばずでした。
ところがこの曲が日本で紹介されるとたちまち評判と
なり、そこでこれを日本語でカバーしたのが飯田久彦
でした。このカバーは本家を凌ぐ大ヒットとなり、一躍
彼はスターへ、そしてこの「ルイジアナ・ママ」もここ日本
だけにおいて大変よく知られる曲となったのでした。
漣健児が訳詞を手掛けたこの日本語カバー、「ビックリ
仰天有頂天」「あたりきしゃりき」など、語呂の良い
遊び心のあるフレーズが印象的なのですが、当時
何と言っても話題になったのが、曲中に出てくる
「ホニオリン」「ロニオリン」などと聞こえる謎の言葉。
「一体何と言っているのか、どう聞こえるか」で巷は
大いに盛り上がったのですが、みなさんご存知の通り
実は「フロム・ニューオリンズ」が正解なのでした。
テキーラ(Tequila)/ザ・チャンプス(The Champs) [1958年]
テキーラといえば多肉植物の竜舌蘭から造られる
メキシコ名産の蒸留酒ですが、その名前がそのまま
付けられている有名な楽曲があります。それが、
ザ・チャンプスの「テキーラ」です。
ザ・チャンプスはカリフォルニアで結成されたロックン
ロールグループですが、当初はバンドとしての実態は
なく、サックス奏者ダニエル・フローレス率いるトリオを
中心に、スタジオセッションのためにミュージシャンが
集められたにすぎない5人組でした。
そうして1958年に発売されたデビューシングルの
B面に収録されたのが「テキーラ」で、またたくうちに
チャートの1位にのぼり詰める大ヒットとなりました。
さらにこの曲は翌年にはグラミー賞にも輝いており、
現在に至るまで様々なミュージシャンにカバーされ
続けている人気曲となっています。ラテン調の陽気な
このナンバー、ご存知の方もきっと多いはずです。
二人でお茶を(Tea For Two)/ドリス・デイ [1950年]
ドリス・デイはアメリカの歌手であり女優。幼い頃から
バレリーナを目指すも、15歳の時に事故に遭い、踊りを
諦めて歌に磨きをかけ、18歳でジャズバンドの専属歌手
としてデビュー。1945年、バンドリーダーのレスター・
ブラウンが作曲した「センチメンタル・ジャーニー」を歌って
レコードを発売、たちまちミリオンセラーとなりました。
一方で1948年には「洋上のロマンス」で女優として
映画デビューし、年に数本の映画に出演するほどの
売れっ子となり、歌に女優にと活躍の場を広げました。
彼女の代表曲としてよく挙げられるのが、前述の
「センチメンタル・ジャーニー」と、1956年公開の映画
「知りすぎていた男」の劇中歌「ケ・セラ・セラ」でしょう。
特に後者はアカデミー賞歌曲賞を受賞しています。
しかし彼女が歌った名曲はまだまだ数多く存在し、
1950年の主演映画の主題歌「二人でお茶を」も
そうした楽曲の中のひとつです。もともとはミュージカル
のために作られた1925年のヒット曲で、アニタ・オデイ
をはじめ様々なカバーが存在するスタンダード・ナンバー
となっており、ドリス・デイのバージョンもまた有名です。
地球の上に朝が来る/川田義雄とミルク・ブラザース [1940年]
さてお正月ということで、今朝はそれにふさわしく
愉快なお笑い・演芸系の音源から選んでみました。
そこでご用意しましたのは、川田義雄の作品です。
この方は1937(昭和12)年に「あきれたぼういず」
というボーイズグループを結成しています。ボーイズ
とは楽器を使って音楽ショーを繰り広げるグループの
形態で、あきれたぼういずはまさにこのボーイズ物の
草分け的存在です。音楽を取り入れたお笑いには
音曲漫才・三味線漫談など様々な形態がありますが、
彼らが切り開いたボーイズ物のスタイルはヴォード
ヴィルと呼ぶにふさわしく、お洒落でスマート、そして
風刺の効いたユーモアが特徴でした。当時の流行歌、
浪曲、民謡からジャズ、オペラ、シャンソンまでネタに
採り入れ、幅広い層から圧倒的な支持を得ました。
川田義雄は戦後に川田晴久と改名し、戦前を上回る
人気を誇り、映画にラジオにステージにと八面六臂の
活躍を見せました。少女時代の美空ひばりと出会い、
彼女を可愛がってスターへの道を開いたことでもよく
知られています。今朝は、そんな川田義雄があきれた
ぼういず脱退後に別グループを結成して吹き込み
大ヒットとなり、生涯彼のテーマソングとして定着した
「地球の上に朝が来る」をお聴き頂きました。
白い恋人たち/いしだあゆみ
今年最後の「マサイ族」はしっとりとした冬の曲で
締めくくりたいと思いまして、ご用意しましたのは
みなさんご存知の名曲「白い恋人たち」。
1968年にフランスのグルノーブルで開催された
冬季オリンピックの記録映画として、クロード・
ルルーシュとフランソワ・レシャンバックの共同
監督で制作された「白い恋人たち(13 Jours en
France)」のメインテーマ曲であり、ニース出身の
作曲家フランシス・レイの代表曲のひとつとして
よく知られています。
今日はこの「白い恋人たち」を、主にシャンソンの
訳詞で有名な永田文夫が手掛けた日本語バージョン
でお聴き頂きました。歌は、いしだあゆみです。