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20131004 まさいさんの我等音楽マサイ族 「Istanbul (Not Constantinople)/The Four Lads」(1953年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「Istanbul (Not Constantinople)/The Four
Lads」(1953年)

先般開催地が決定した2020年のオリンピック招致に関し、
東京・マドリードとともにメディアで連日のように耳にした
都市名、イスタンブール。この地名で思い浮かぶ曲といえば
日本のポップスなら庄野真代の「飛んでイスタンブール」で
決まりといったところですが、カナダの男性4人によるコーラス
グループ、フォア・ラッズが1953年に発表した「イスタンブール」
もまた忘れることのできないとても印象的な作品なのです。
この曲は全米チャート10位を記録し、ゴールドディスクに輝く
大ヒットとなり、彼らの人気を不動のものにしました。その後
60年代にかけてヒット曲を量産。アメリカやカナダはもちろん
ここ日本でも多くのファンを獲得し、当時来日も果たしています。
さてこの「イスタンブール」という曲、滑稽でありながら洒脱で
小気味よい歌詞が実に特徴的です。「イスタンブールはかつて
コンスタンティノープルだった。僕らはもうコンスタンティノープル
には戻れないよ、だって今はもうイスタンブールなんだから…」
といった内容が歌われており、曲の中にイスタンブールが9回、
そしてコンスタンティノープルに至っては14回も登場します。
聴いて頂くとお分かりの通り、この「コンスタンティノープル」
という言葉のリズムが聴かせどころなのだろうと思われます。
なおこの曲、日本では江利チエミが「イスタンブール・マンボ」
のタイトルでカバーしており、ラテンテイスト濃厚なアレンジです。

20130920 まさいさんの我等音楽マサイ族「ワシントン広場の夜はふけて/ヴィレッジ・ストンパーズ」(1963年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「ワシントン広場の夜はふけて/ヴィレッジ・ストンパーズ」(1963年)

「あゝモンテンルパの夜は更けて」(渡辺はま子)や「赤坂の
夜は更けて」(西田佐知子)などのように、「~の夜は更けて」
という曲のタイトルは、日本ではお馴染みですよね。
その流れで邦題が付けられている名曲、「ワシントン広場の
夜はふけて」を今朝はご用意。原題は「Washington
Square」。
アメリカのグループ、ヴィレッジ・ストンパーズによる楽曲です。
ディキシーランド・ジャズにフォークの要素を取り入れた演奏
スタイルが特徴的な彼らですが、とりわけ1963年に発表された
この「Washington
Square」が大ヒット、ビルボード2位に輝き、
その後もいくつかのスマッシュヒットを残すなど活躍しました。
そして「Washington
Square」は「ワシントン広場の夜はふけて」
のタイトルで日本でも話題となり、オリジナル盤はもちろん
ダニー飯田とパラダイスキングやダークダックスなどによる
ボーカルバージョンも多数リリースされ、チャートを賑わせました。
今回は本家ヴィレッジ・ストンパーズのバージョンをオンエア。

20130913 まさいさんの我等音楽マサイ族「COUNTDOWN AT 6/Perrey & Kingsley」(1966年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「COUNTDOWN AT 6/Perrey &
Kingsley」(1966年)

音楽制作の手法として「サンプリング」というものがあります。
既存の音楽の一部分、例えばボーカルや楽器演奏のワン
フレーズなどを抜き出して、それを素材として利用するという
方法なのですが、本来の意味でのサンプリングとはもっと
様々な音…人のしゃべり声、動物の鳴き声、自然界の音、
機械の動作音…等々、直接音楽とは関係のない音も含め、
それらを素材として楽曲に利用することを指していました。
それは機材がデジタル化した現在でこそ簡単なことですが、
アナログの時代にそれをやろうとするのは至難の業でした。
そんなわけで今朝は1966年に制作された、サンプリングを
用いた作品をお持ちしました。ジャン=ジャック・ペリーと
ガーション・キングスレイという二人のコラボによって発表
されたアルバム「The
In Sound From Way Out!
」です。
彼らは当時開発されたばかりのシンセサイザーを駆使し
電子音楽という新たな可能性を切り開いたのみならず、
サンプリングという手法の草分け的存在でもあるのです。
6mm(いわゆるオープンリールテープ)に録音した素材を
文字通り切ったり貼ったり、再生速度を変えてピッチを
操ったり、気の遠くなるような編集作業が行われました。
実験音楽の世界ではミュージック・コンクレートと呼ばれた
この手法を、シンセと同時に使用することで新たなポップス
を生み出した、そのアイデアと情熱、そして根性に脱帽です。
今回は上記アルバムの中から、赤ちゃんの声がとても
可愛らしくて印象的な「COUNTDOWN
AT 6」をオンエア。

20130906 まさいさんの我等音楽マサイ族 「僕のオネスティ/川上進一郎」(1986年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「僕のオネスティ/川上進一郎」(1986年)

吹く風にようやく次の季節を感じるようになってきました。
そんなわけで今朝は少しばかり落ち着きを感じる選曲で。
さて、男性シンガーの中にはハイトーンボイスが売りの
方が見受けられますよね。例えばファルセットを駆使して
素晴らしい高音をテクニックでコントロールする場合や、
そもそも持って生まれた地声が高いため自然な高音で
歌う方など、同じハイトーンでもそのスタイルは様々です。
今回はそういったシンガーの中から、川上進一郎氏を
ピックアップしました。この方は1986年にCBSソニーから
「僕のオネスティ」でデビューしたのち、合わせて数枚の
シングルを発表しています。ジャケット裏には「アルバム
制作中」という告知が書かれているものの、それがリリース
されることはなく、しばらくは他アーティストへの楽曲提供等
精力的に活動を続けていましたが、90年代に入りますと
音楽の表舞台で彼の名を目にすることはなくなりました。
そしてこの方こそは、とても印象的なハイトーンボイスの
持ち主なのです。その高音は極めてナチュラル。透明感に
あふれ、かつ伸びと張りのある、実に魅力的な歌声です。
ネット上にもほとんど情報が見当たらず、また作品がCDに
まとめられることもないままの彼ですが、しかしこのまま
忘れ去られるのは本当に惜しいシンガーです。今回は
上述のデビュー曲「僕のオネスティ」をお聴き頂きました。

20130830 まさいさんの我等音楽マサイ族 「Sea Express/MALTA」(1985年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「Sea
Express/MALTA」(1985年)

今朝は爽快感のある選曲にしようと思い、フュージョン系の
楽曲をご用意。日本人サックス奏者、MALTA氏の作品です。
東京芸大卒業後にバークリー音楽大学へ進み、その卒業後
同校で講師を務める傍ら様々なレコーディングセッションに
参加。ジャズ楽団のバンドマスターを経て、1983年にソロ作
「MALTA」をリリースし、日本デビューを果たしました。
87年にはアルバム「SPARKLING」で第1回日本ゴールド
ディスク大賞を受賞。今なお一線で精力的に活動中です。
そんな彼の作品の中から、1985年に発売されたアルバム
「SUMMER
DREAMIN’」より「Sea Express」をオンエア。

20130823 まさいさんの我等音楽マサイ族 「太陽の彼方に/藤本好一」(1964年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「太陽の彼方に/藤本好一」(1964年)

3週前にこのコーナーで「GO!
GO!
レンタカー」という
1966年の作品をオンエアしました。当時は音楽市場を
エレキブームが席巻しており、「勝ち抜きエレキ合戦」
という素人参加のテレビ番組まであったほどです。
このブームのピークは65年のザ・ベンチャーズ来日に
よってもたらされたと言われています。彼らの他にも
シャンティーズ、サーファリーズ
、スプートニクスなど
実にたくさんのエレキバンドが紹介されたわけですが、
日本におけるこの一連のブームの先駆けとなった
ヒット作と言えば、やはり「太陽の彼方に(Movin’)」
でしょう。アメリカのジ・アストロノウツによる演奏ですが、
実はこのバンド、本国ではほとんど話題になっておらず、
日本だけで成功を収めたのです。本国では単にアルバム
の中の一曲であった「太陽の彼方に」は、64年に日本で
発売されるとたちまち人気曲となり、これによってエレキ
サウンドが日本国内に一気に浸透していったのでした。
そして、このインスト曲に歌詞を付けてボーカル作品に
したところ、更なる大ヒットとなりました。それが藤本好一
「太陽の彼方に」(64年)です。演奏は和製エレキバンドの
草分け的存在、かの寺内タケシとブルージーンズです。

20130816 まさいさんの我等音楽マサイ族 「サン・オブ・ジャマイカ/クスコ」(1983年)


私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「サン・オブ・ジャマイカ/クスコ」(1983年)

今回は、この季節にピッタリの「夏のリゾートミュージック」
として紹介されていた音源をお持ちしました。ドイツ人の
二人、マイケル・ホルムとクリスチャン・シュルツを中心と
して結成された音楽ユニット「クスコ」による楽曲です。
クスコは1979年に結成され、翌80年にデビューアルバム
「デザート・アイランド」をリリースしました。ユニット名の
由来は、かつて南米に栄えた古代インカ帝国の首都
「クスコ」です。そのイメージ通り、アンデスの音楽を彷彿と
させる節回しが多用されています。また、楽器の構成は
シンセサイザーのメロディーとその他生楽器なのですが、
使用されるシンセサイザーの音色には南米の笛などを
模倣したものが多く、とてもエキゾチックな印象を受けます。
ただし本格的なワールドミュージックを目指している訳では
なく、あくまでポップで気軽な音楽に民族的なエッセンスを
ちりばめるという手法であり、難しくなく爽快感があります。
日本で初めて彼らのアルバムが発売された際は、単に
「リゾートミュージックのインスト曲を集めた企画盤」のような
ジャケットの体裁で、「演奏/クスコ」とごく小さくクレジット
されていただけでしたが、その後は徐々に音楽ファンから
認知されるようになっていきました。その爽やかなテイスト
もあって、番組等のBGMとしてもよく使用されています。

20130809 まさいさんの我等音楽マサイ族 「東村山音頭/三橋美智也、下谷二三子」(1961年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「東村山音頭/三橋美智也、下谷二三子」(1961年)

8月のお盆、いわゆる旧盆の地域においてはいよいよ
お祭り等で賑わう時期となりましたが、それにつきもの
なのが盆踊り。ということで今朝は盆踊りに欠かせない
音楽、すなわち「音頭」の中から選曲させて頂きました。
そこでご用意しましたのは「東村山音頭」です。ドリフの
「全員集合」をご覧になっていた世代なら、まずご存知
なのではないでしょうか。志村けん氏によるこの歌は
レコードにもなり、全国に「東村山」の名を知らしめました。
しかしこの「東村山音頭」、実は元ネタがあるのです。
それは、1961[昭和36]年に作られた、その名もズバリ
「東村山音頭」。当時の東京都北多摩郡東村山町に
おいて「郷土の民謡を作ろう」ということから制作され、
キングレコード専属の三橋美智也と下谷二三子によって
吹き込まれたものです。東村山町は1964[昭和39]年に
市となりましたが、それ以降も変わらず親しまれてきました。
お聴き頂くとお分かりの通り、志村けんバージョンにおける
「東村山4丁目」と「3丁目」は、この元ネタのほうから引用
されていることが明白であり、きっとニヤリとしますよ。

20130802 まさいさんの我等音楽マサイ族 「GO! GO! レンタカー/田辺靖雄・中尾ミエ」(1966年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「GO! GO!
レンタカー/田辺靖雄・中尾ミエ」(1966年)

8月に入りまして、いよいよ「夏の行楽シーズン」真っ盛り。
移動の足としてマイカーや交通機関が大活躍なのですが、
現地でレンタカーを借りるというのもよく使われる手段です。
というわけで今朝はちょっと珍しいテーマ、「レンタカー」の曲を
オンエア。1966年に発売された「GO!
GO!
レンタカー」です。
歌うのは「和製ポップス」界を代表するシンガー、田辺靖雄と
中尾ミエの二人。かつて若者の音楽文化を席巻していた、
いわゆる「エレキ歌謡」と呼ばれるジャンルの楽曲です。
この「GO!
GO!
レンタカー」はそのエレキ歌謡の中でも、
「自動車」中心のライフスタイルから生まれた音楽ジャンル
「ホット・ロッド」に分類されます。60年代のアメリカ西海岸で
生まれたホット・ロッドは、効果音として車の空ぶかしの音や
走行音を曲の中に盛り込むのが「お約束」となっていまして、
「GO!
GO!
レンタカー」にも大きくフィーチャーされています。
しかし、およそレンタカーとは思えない爆音が轟いており、
そこがまた今となってはニンマリしてしまう点ではあります。
当時の若者たちに俄然「カッコよさ」をアピールする要素に
満ち溢れているこの作品、時代を感じずにはいられません。
こういった内容ですので、当然気持ちよく車を走らせる歌詞と
なっているわけですが、もちろんこれは曲の中の物語です。
実際の走行に際してはくれぐれも安全運転、これ大事ですね!

20130726 まさいさんの我等音楽マサイ族 「恋にいのちを/佐々木功」(1960年)

私ことまさいよしなりが今週お持ちした音源はこちらです。

「恋にいのちを/佐々木功」(1960年)

音楽活動のキャリアの途中で表現のスタイルを変える
アーティストがいらっしゃいます。歌い方、演奏の仕方、
更にはジャンルを越えるなど、様々な例があります。
ということで今回は、歌唱スタイルが途中でガラリと
変わった日本の男性シンガーを採り上げました。
それは、ささきいさお氏。アニメソングの世界で
彼を知らぬ人はいない、代表的な実力派歌手です。
この方が初めてアニメの主題歌を歌ったのは1973年
のことですが、歌手デビューは1960年、まだ高校生の
時でした。「和製プレスリー」と称し、ロカビリー歌手
として登場しましたが、そのロカビリーのブームが
去ると活躍の場を失ってしまいました。そこから
アニメ歌手として花開くまでの間、歌うことを基礎から
学び直し、その地道な努力の結果として我々のよく知る
あの豊かな歌唱力を手に入れたのがこの人なのです。
では、それ以前の「ロカビリー歌手」時代の歌声は
どうだったか…ということが気になりますよね。
というワケで今朝は、デビュー当時の音源の中から
「恋にいのちを」をオンエア。歌声の違いに驚きです!