福居万里子です。
熊本地震の発生から 6年が経ちました。
私は ≪ あの日 ≫ を経験していません。
6年前、私は福岡の放送局に勤めていました。
福岡でも震度5強を観測したところがあり、周辺の情報収集に追われました。
目の前の仕事に向き合いながらも、テレビやラジオが伝える傷ついた熊本の姿がショックでした。
熊本で暮らしたことこそ なかったけれど、家族で何度も訪れた思い出の場所だったからです。
だから、熊本地震の1年後、熊本に来ることを決めました。
たくさんの人に話を聞き、災害を学び、防災士になり、ニュースを伝えるなかで、熊本地震を知ろうとしてきたつもりです。
地震から6年経った今年は 初めて、地震が発生した日の夜に震災遺構を訪れました。
阿蘇大橋の崩落現場です。
今は立野側に立派な展望所が設けられています。
昼間には何度も訪れましたが、
安全な場所で、遠くから『 眺めている 』
どこか そんな印象を拭えませんでした。
一方で、河陽側から見てみると、
曲がったままの標識や無機質なバリケードが残っていて、現場がすごく近くて、暗くて、怖くて、
そこに『 立っている 』と感じました。
そして、4月といえど 阿蘇の夜は まだまだ寒いということも、肌で感じました。
米塚付近の道からは、遠くに輝く熊本市内の灯りが美しかったけれど、
あの日は大規模に停電していましたし、こんな景色ではなかったのでしょう。
地震発生から6年が経ち、元気に復興していく熊本を誇りに思います。
しかし、こうして震災遺構を訪れるたび、
『 復興を喜ぶあまり、
自然の恐ろしさを忘れてはいないか?
悲しみから目を背けてはいないか?
災害への備えを怠ってはいないか―― 』
自らの日常を考えさせられます。
初めて地震発生の日の夜に阿蘇を訪れてみて、
私の中の ≪ 熊本地震 ≫ が またひとつ変わった気がしています。
熊本のみなさんと同じ経験をしていない分、これからも ≪ あの日 ≫ を理解する努力をつづけます。