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“ スロー ” な ニュース ~ 災害報道を考える ~

福居万里子です。

1月13日(土)に放送したRKK70周年報道特別番組『 スローなニュース 』、いかがでしたか。

テーマのひとつが『 災害報道 』でした。

 

長崎県島原市の雲仙普賢岳です。

特別番組の収録後、ふるさと・長崎に帰省することがあり、雲仙岳災害記念館を数年ぶりに訪れました。

1991年の噴火災害では、死者40人・行方不明者3人をだしました。

その中には報道関係者や火山学者、地元の警察官や消防団員、タクシー運転手などが含まれます。

ご存知の方も多いと思いますが、当時のメディアをめぐっては “ 報道の過熱 ” や “ 危機意識の不足 ” が指摘されています。

火砕流に巻き込まれて亡くなったカメラマンが撮影した映像を上映するブースには、来館者の感想を書き込むノートがあり、こんな言葉がつづられていました。

『 当時 父は消防団で、私は不安でした。この映像を見ても腹立たしい気持ちしか沸きません 』

『 犠牲者をだしてまで、やる必要ありますか 』

『 報道関係は傲慢ですね 』

現在、地震や水害、台風に伴う中継や取材においては、どのメディアも安全第一、被災地とそこで暮らす人たちに迷惑をかけないよう配慮している・・・はずです。

それでも “ この取材は本当に、誰かのためになっているのか? ” と、ノートに書かれた言葉が自分自身に突き刺さるような思いがしました。

 

それから、特番の収録は年末だったので、北陸の地震が発生したのは、その数日後のことでした。

発生直後から私は各局の緊急報道から目が離せなくなり、とにかくいろんなことを考えました。

 

大津波警報がでているなか、どんな言葉で、どんな口調で、どんな声色・声量・速さで警戒を呼びかけるのが適切なのか。

実際に津波が押し寄せていて避難を続けている人たちは、ふるさとが火に包まれる映像をどんな気持ちで見ているのか。

道路の復旧が追いつかず “ 今はまだ、個人のボランティアは控えて ” と異例の呼びかけがされるなか、自分に何ができるのか。

 

「 複数のメディアから何度も同じことを聞かれ、そのたびに自分が責められているような気持ちになり辛かった 」

「 “ かわいそう ” で終わらせず、次につながる取材・放送を 」

熊本地震で目の前で家族を亡くした遺族が、発生から8年が経とうとする今、改めて取材を受けてくださったときの言葉です。

 

こうした言葉を、私たちは決して忘れることなく、今後の取材・放送にいかします。

 

ですから、逆に みなさんにも『 “ かわいそう ” で終わらせないで 』という言葉を胸に、

いま報じられている北陸の現状を見てほしいと思うのです。

 

『 報道 』というのは、私たち放送局だけでは成り立ちません。

ニュースを見てくださり、ときに取材対象となる みなさんがいてこその『 報道 』です。

 

速報性、手軽さが喜ばれる “ ファスト ” な時代ですが、

ときに立ち止まり、時間をかけてでも深く考える “ スロー ” なニュースを、みなさんといっしょに紡いでいけたらと考えています。

 

~ おまけ ~

雲仙岳災害記念館にあるカフェ『 GEO CAFE( ジオカフェ ) 』の看板メニュー『 雲仙火山トルコライス 』です。

黒米ご飯は「平成新山」を、地元産の野菜を使ったサラダは「妙見カルデラ」を、雲仙の豚肉を使ったトンカツは「溶岩ドーム・眉山」を表現しているとか。

島原で暮らすの人たちにとって、雲仙岳は恐ろしい火山であると同時に、恵みをもたらす火山であり、“ 誇り ” でも あるのです。

恐ろしい経験をしても なお、この地を離れず、火山とともに生きていく。

そのためには、やはり『 必要以上に恐れない、だからといって、油断もしない 』

ふるさと・長崎が、大切なことを、改めて教えてくれました。

北陸を想う

福居万里子です。

 

今月1日に発生した大地震と津波により、石川県能登半島を中心に北陸の広い範囲に被害が出ています。

きょう1月9日の時点でも全容はつかめておらず、この先どこまで影響が広がるのか、いまだに分かりません。

 

私たちが暮らす熊本から、今、そして これから先、どんなことができるのか――

 

ひとつ、紹介させてください。

 

『 大切な人が被災したときに、自分にできることが見つかる本 』

発行:BRIDGE KUMAMOTO( ブリッジ クマモト )

私がこの本に出会ったのは2022年3月でした。

当時 夕方Liveゲツキン!で取り上げ、instagramでも紹介したことがあります。

2020年に発生した【 7月豪雨 】の経験から、

▼被災地( もしくは 被災地のそば )にいる人

▼被災地から離れた場所にいる人

▼ボランティア経験がある人

▼ボランティア経験がない人

それぞれの立場で『 できること 』を提案するものです。

インターネットでも無料公開されていますので、読んでみてください。

 

そして、『 できること 』を すでに始めている人たちも たくさんいます。

 

火曜日の放送を担当しているRKKラジオ『 午後2時5分 一寸一服 』のために熊本市の鶴屋百貨店を訪れると、1階インフォメーションには募金箱が。

地震発生の翌日、1月2日の初売りの日から設置したそうです。

インフォメーションのスタッフの方に話を聞きました。

「 世代を問わず若い方々も自然と募金をしていってくださいます 」

「 小さなお子さんが “ お年玉袋 ” を持ってきてくれたこともありました 」

「 みなさん、“ 熊本地震で被災する辛さを知っているから ” と口々に仰います 」

 

 

それから、5階・漆器売り場にも伺いました。

石川県の伝統工芸といえば『 輪島塗(わじまぬり) 』。

その美しさだけでなく、丈夫で長持ちすることから熊本にもファンは多く、

被災地の職人さんたちの状況や今後の生産見通しなど、心配して売り場を訪ねる人が後を絶ちません。

 

売り場の方によりますと、

「 鶴屋と取引のある職人さんたちの命は無事で、連絡がとれている 」

「 しかし、復旧もままならない状況で、生産作業を再開する目途はたっていない 」

・・・ということです。

輪島塗の漆器は、お正月をはじめとした祝いの席に喜ばれ、

先日の年末商戦のシーズンも、それはそれは大人気だったそうです。

今回の地震が発生してからは、元々のファンは もちろん、

「 普段は買うのを遠慮していたけれど、今こそ買いたい! 」という人も少なくないとか。

 

ただ、支援物資さえ滞るような物流状況では、しばらくは新規入荷は難しいというのが現状で、いま店頭に並んでいる分に限られるということです。

ですから、「 今すぐ買って応援したい! 」というだけでなく、

これから先、少し時間が経ってから・・・

例えば季節の節句、家族の祝い事を迎えるたびに、その都度 売り場を覗いてみてください。

それが、息の長い支援となり、被災地へのエールになるはずです。

 

それから・・・

今回の災害は気象庁に『 令和6年 能登半島地震 』と命名されました。

メディアによる報道も、被害が集中している能登半島のことが多く、このエリアが注目されがちです。

しかし、実際は私たちが思っている以上に広い範囲に被害が及んでいるようです。

私も自分自身に言い聞かせていますが、視野を広く持ち、想像力を働かせながら被災地に想いを巡らせることも必要かもしれません。

 

一方で、今回の災害は8年前の熊本地震の辛い記憶を呼び覚ましてしまうのも事実です。

心が苦しくなったときには、災害報道から少し距離をとってもいいと、私は思います。

 

被災地から離れた場所にいる私たちが “ 普通に暮らす ” のも、大切です。

自分たちの日常を大切にしながら、被災地へ、いっしょに心を寄せましょう。

“ 出る幕がない ” ことを祈って

勉強は好きではありませんが、浪人・留年した分、他の人よりも “ 勉強歴 ”だけは長い、福居万里子です。

 

大人になってからも “ 学びの場面 ” というのは多々ありますが、

私の場合は ≪ 防災 ≫ に関する学びが欠かせません。

最近、そんな機会につづけて恵まれました。

 

先月中旬は【 花畑広場 防災フェア 】に行ってきました。

いざというときに私たちを助けてくれる人たち、車両、ヘリコプターなどが集合!

災害車両の中に入って見学したり、災害用伝言ダイヤルを体験したり・・・

大人も子どもも楽しみながら防災学習をしていました。

 

私も、非常食を試食。

最近のものはメニューの多さもさることながら、質も高く、本当に驚きます。

とはいえ、「 いつも食べているような温かい食事 」とは やはり違います。

こうした食事を一度経験しておくことが、心構えになるのです。

特に小さなお子さんは “ 変化 ” に敏感でストレスを感じやすいですから、

たまに一緒に食べて、慣れておくことをオススメします!

 

花畑広場は有事の際にはボランティア拠点や避難所等として機能できるよう、できるだけ障害物のない造りになっていて、マンホールトイレや非常時用ポンプも備えています。

普段は憩いの場として親しまれていますが、こうした “ 別の顔 ” を知るきっかけにもなったのではないでしょうか。

( 自衛隊ヘリコプターには常に人だかりができていました! )

 

もうひとつの “ 学び ” は、熊本県が主催する【 地域防災リーダースキルアップ研修 】です。

県内各地の自主防災組織で活動する防災士や、職場で災害対策を担当する防災士、個人的に学んでいる防災士・・・

いろんな立場の防災士が集まり、知識と技術の向上を目指すものです。

 

私は防災士ではありますが、災害が起きれば災害報道・放送に携わるため、『 防災士の現場 』に出ていくことは おそらく ありません。

それだけに、自分がいかに現場を知らないか、と痛感する時間となりました。

家屋が倒壊して生き埋めが発生しているという状況で、どんな指示をだす?

どんな道具が必要で、その使い方は?

人手は どのくらい必要?

その人たちの安全は どう確保する?

 

そして、そんなときに、私たち放送局は何ができる?

どんな情報を伝えれば、現場の助けになる――?

 

本当に、いろんなことを考える機会になりました。

 

県庁内に新しく完成した防災センターでの学習もとても興味深いもので、普段あまり防災に興味がないという人にこそ、一度訪れてみてほしいと感じました。

普段から一般にも開放していますので、ぜひ ご家族で!

 

『 私たち防災士の出る幕なんてない 』

そんな日が続くことを祈りつつ、学び、備え続けます。

知ろうとする

熊本に来て6年が経ちましたが、まだまだ勉強の連続、福居万里子です。

 

産休・育休から復帰し、久しぶりにゲツキン!特集を制作しました。

テーマは『 水俣病を語り継ぐ資料 』です。

 

この夏、“ ヒャッケンハイスイコウ ”というフレーズが新聞やテレビの報道で飛び交いました。

ヒャッケンハイスイコウとは“ 水俣病の原点 ”と呼ばれる『 百間排水口 』のことです。

6年前、熊本に引っ越してきてすぐのころに水俣を散策したときに、私は初めてその存在を知りました。

水俣病は、原因企業チッソがメチル水銀を含む有毒な工業廃水を海へ流し、汚染された魚を食べたことで鳥やネコ、そしてヒトへと広がりました。

その、排水が行われた場所が『 百間排水口 』。

“ 水俣病の原点 ”と言われる所以です。

 

今回、その口を塞ぐ“ 樋門 ”の老朽化をきっかけに『 撤去 』か『 保存 』か、が議論されたわけですが、

熊本市中心部で『 百間排水口 』の認知度を調査すると、「 知っている 」と答えたのは 30人中3人。

現地を訪れるまで私も存在を知らなかったように、今回ニュースで取り上げられたことで初めて聞いた人も少なくないようです。

( みなさんは、どうですか? )

 

この一連の動きを見て私が真っ先に思い出したのが、水俣病センター相思社が保管している【 ネコ実験の小屋 】でした。

 

かつて、まだ水俣病の実態が分かっていなかったころ、原因を突き止めるべく工場廃液をエサに混ぜてネコに与えるという実験が行われました。

ネコは77日後に発症し、人々が苦しんでいる原因がようやく分かったのです。

このブログでは 去年すでに紹介しましたが、その実験に使われた小屋は相思社に保管されています。

ずいぶんと老朽化していたのですが、これからも歴史の証人として後世に残すべく、おととし修復が行われて保存状態も改善しました。

 

百間排水口も、“ 老朽化 ”が問題でした。

そして、今回の騒動がなければ、知らないままだった人も多くいたはずです。

多くの人に知られないまま、朽ちて、いつかは消えてしまっていたかもしれません。

何でもかんでも残せばいい、とは言いません。

しかし、保存の是非を議論することさえなく、歴史を語る資料が失われていくかもしれないだなんて、それでいいのでしょうか。

水俣病は小学校の教科書にも載っていて、ほとんどの人が概要を知っています。

けれど、百間排水口のことも、ネコの小屋のことも、知らないという人が少なくありません。

『 知っている 』からこそ、『 実は 知らない 』ことに気づきにくいのかもしれません。

今回の取材を通して、相思社の方から「 学び、知ったことが放送に繋がらなくたっていい。ひとつひとつの事実を知った上で、あなたがこれから生きていってくれるだけで、すばらしい 」という言葉を聞きました。

胎児性水俣病患者の方からは「 興味をもってくれて、ありがとう 」と言われました。

 

知ろうとする、その姿勢を、これからも忘れずにいようと思う取材でした。

今回の放送は【 RKK NEWS DIG 】でも公開中です。

 

~ ちなみに ~

今回の放送で、相思社の存在も初めて知ったという方も少なくありませんでした。

水俣市の資料館とは またちがう雰囲気で、当時の空気を感じることができる資料ばかりです。

ぜひ、一度 訪れてみていただきたいです。

( 敷地内にある “ 猫の墓 ” )

おかえり!南阿蘇鉄道

祖父・父・兄・弟、そして最近では甥っ子まで…鉄道ファンの家系に生まれました、福居万里子です。

 

2023年7月15日。
熊本地震で被災した南阿蘇鉄道が、ついに全線再開しました。


お客さんを乗せた電車が中松駅から先の区間を走るのは、実に7年3か月ぶりのことです。
『 全線復旧は2023年の夏を予定しています 』と、初めてニュースでお伝えしたときには「 なんて時間がかかるんだろう・・・ 」と気が遠くなったのを今もはっきりと覚えています。

私は、南阿蘇鉄道に個人的な思い入れがありました。

阿蘇は家族旅行で何度も訪れたことのある思い出の場所で、鉄道ファンである父親のおかげで、南鉄の車両と撮影した家族写真が残っているからです。

( 立野駅にて。左端が私です )

 

6年前に熊本に来てRKKに入社してからは、雑草に覆われてしまった線路を目の当たりにして、ショックを受けました。

南阿蘇鉄道に自ら電話して取材交渉し、撮影に協力いただき、復旧工事の進捗を伝えたこともありました。

 
育児休業に入るにあたって大きな心残りのひとつが、『 南阿蘇鉄道 全線再開の日を取材できないこと 』でもあったのです。

全線再開の日、『 取材 』は できませんでしたが、『 お祝い 』することはできました。

夫と息子と3人で地元のみなさんの輪に入れてもらい、特別列車に向かって旗を振れたことは一生の思い出になりました。

 

雨に打たれ、息子が鷲掴みしたために ぐしゃぐしゃになった旗は思い出の証です。

 

そして 今月、職場に復帰し・・・

“ 南鉄ラブ ” な私に、これ以上ない嬉しい仕事が舞い込みました。

『 全線再開した南阿蘇鉄道の魅力を全国中継で伝えよ 』という指令です!

しかも、「 Nスタ ~すたすた中継~ 」と「 ゴゴスマ ~列島生報告!きょうはダレなんサー~ 」、立て続けに2度のチャンスに恵まれました。

私自身も、周りのスタッフも『 ブランクがあるのに大丈夫か…? 』という不安がなかったといえば嘘になりますが、これまで取材し伝えてきた知識と、体と心に染みついた思い出や南鉄愛が溢れ、ご覧いただいた方々からは「 イキイキしていたね! 」と言ってもらえました。

 

Nスタ中継では、車両の入線時間を調整してもらうなど南阿蘇鉄道に全面協力していただき、

 

ゴゴスマ中継では、長陽駅「久永屋」のみなさんのアツい想いと冷たいかき氷のおかげで楽しい中継になりました。

 

 

( 久しぶりに色鉛筆イラストの披露までさせていただきました )

 

7年3か月という月日は あまりに長く、
南阿蘇鉄道のみなさん、工事に携わった職人さんたち、地元の方々の苦労は想像がつきません。

こんなに愛されるローカル線が熊本にあることを、誇りに思います。

改めて、全線再開、本当に おめでとうございます!

 

 

~ おまけ ~

ゲツキン!「 福居の気になる劇場 」で紹介した、砂を使って物語をつむぐ、サンドアーティストのCaveさんを覚えていますか?

熊本地震発生から今までずっと、途切れることなく、南阿蘇鉄道を応援するチャリティー企画を遠く離れた東京で続け、義援金を送り、熊本を励まし続けてくださっています。

 

『 全線復旧した暁には、きっと南阿蘇で会いましょう 』というCaveさんとの約束も、全線再開の日に叶いました。

遠く離れた東京から、それも7年間ずっと、熊本に心を寄せ、行動し、たくさんの人を巻き込んで、いっしょに復興を喜んでくださるCaveさん。

どんな感謝の言葉でも足りませんし、私もこんな優しさと信念、行動力をもつ人でありたいと、尊敬せずにはいられません。

Caveさん、これからも、私たちと一緒に 南阿蘇鉄道 を見守ってください!

シン・フクイ

おひさしぶりです、福居万里子です。

番組やブログ、SNSなどでご報告していましたように 子どもを授かりまして、

年明けに出産、育児休業を経て、職場に復帰しました。

( 熊本県民の仲間入りをした息子です )

 

妊娠・出産は想像以上の “ 大仕事 ” でした。

( 臨月のフクイ )

 

妊娠中は “ つわり ” こそ ほとんどなかったものの、

ヘルニアによる腰痛に苦しみ、膀胱を圧迫されて頻尿になり、その影響で寝不足・・・

食欲は “ いい感じに ” 落ちて、妊娠前と臨月で体重が変わらないという不思議な現象もありました。

( どんだけ食って太ってたんだ、という話 )

 

出産も、陣痛を経ての緊急帝王切開と、いわゆる “ フルコース ” を経験し、

“ 母親 ” そして 病院スタッフのみなさまに、

心から『 感謝 』と『 尊敬 』の念を抱いた次第であります。

( 産後の入院中、なんやかんや身につけて体力回復に努めるフクイ )

 

一方で、退院してからの日々はというと――

熊本市を一望できる花岡山では “ ふるさと ” の景色を息子とともに目に焼き付け、

お宮参りでは歴史ある健軍神社の荘厳な空気を味わい、

南阿蘇では鉄道の完全復活に沸く地元のみなさんの輪に入って全線再開を祝福し、

熊本市動植物園の夜間開園まで満喫!

“ 息子のために ” を言い訳に、それはそれは 豊かな時間を過ごさせていただきました。

 

日常生活でも、発見の連続でした。

 

商業施設のベビー向けサービスが充実していること。

歩道の亀裂や段差が想像以上にベビーカーに影響すること。

我が子を抱いて電車に乗れば、必ずと言っていいほど学生さんが席を譲ってくださること。

エレベーターに同乗した見知らぬ人に「 何か月?かわいいね 」と話しかけられただけで心が温かくなること・・・

 

『 ママになると、世界の見え方が変わる 』という先輩たちの言葉は本当でした。

 

そして、自宅で過ごす間は テレビやラジオの放送が、私と世の中をつないでくれました。

今まで以上に『 放送 』が好きになり、これらの経験を取材や放送に生かしたいという気持ちは日に日に大きくなり、仕事復帰するに至りました。

 

母親としては まだまだ駆け出しですが、

学び、経験しながら、より魅力的な放送を目指し貢献していきたいと考えています。

“ 母親目線 ” も身につけた “ シン・フクイ ” に どうぞ ご期待ください!

 

・・・とはいえ、やはり “ ブランク ” というものは ありまして・・・

最初は お手柔らかに、お願いします。

福居、母になります

福居万里子です。

ゲツキン!そしてSNSでは すでにご報告したのですが、子どもを授かりました。

産休・育休のため、しばらく お休みをいただきます。

それにしても、もともと恰幅の良さに定評のある私ですが、

さすがに ≪ 命を宿した ≫ お腹のふくらみ は 別次元のようで・・・

番組中に全身が映ったり、RKKまつり や 取材先など 直接みなさんとお会いしたりする中で『 え?あれ?もしかして? 』と気づき、声をかけていただくことが多くなっていました。

そのたびに励ましの言葉や体へのお気遣いをいただき、うれしく思います。

 

また、気づいていても あえて そのことに触れずに見守ってくださった方も多かったように思います。

ありがとうございます。

 

個人のinstagram や ゲツキン!の放送などを通して報告させていただいたところ、

私の想像していた以上に たくさんのお祝いの言葉を ちょうだいしました。

ひとつひとつお返事することが叶いそうにないので、この場で御礼申し上げます。

( “ お腹の中の子と最後の取材 ” は、福居の気になる劇場『 南阿蘇鉄道 』 )

 

 

『 RKK NEWS JUST. 』

( 2年間 コンビを組んだ 佐々木キャスター )

 

そして、『 夕方Liveゲツキン! 』

( 初代MC3人で、懐かしい写真とともに記念撮影 )

 

災害、コロナ禍・・・振り返れば6年ちかくもの間、

夕方の生放送を通して熊本のみなさんと喜怒哀楽を共有させていただきました。

とても光栄でした。

そのような日々も “ 一旦 お休み ” と思うと、淋しいです。

 

順調にいけば、出産は年が明けてからの予定です。

 

母になると、世の中が違って見える、と いろんな先輩ママたちから言われます。

これから先、熊本の街や文化、そして さまざまなニュースが、

母となった自分の目に どう映るのか、

母となった自分が どんな言葉をつむぐのか――

私自身、その変化が楽しみです。

無事に出産し 仕事に復帰した暁には、また 何らかのかたちで お目にかかれますように。

少し時期が早いですが・・・よい年をお迎えください!(^^)

 

~ おまけ ~

ことし1年の感謝を込めて、ゲツキン!MC4人で 短い動画を撮影しました。

RKKテレビをご覧いただいていると、どこかで流れるかも♪

探してみてください!

そして、これからの『 夕方Liveゲツキン! 』にも ご期待くださいね(^^)

“ 鉄分 ” 摂りすぎ、ですか?

祖父・父・兄・弟とつづく “ 鉄オタ ” いわゆる 鉄道ファンの家系に生まれました、福居万里子です。

そういう家系に生まれたというだけで、私自身は豊富な知識を持ち合わせているわけでは決してないのですが、どうしても鉄道の話題に反応してしまいます。

 

「 夕方Liveゲツキン! 」で 隔週・火曜日にお送りしている『 福居の気になる劇場 』でも、今年度だけで すでに3回も鉄道ネタを投下。

 

4月『 南阿蘇鉄道に贈る 復興のエール 』

砂で絵を描いては消す【 サンドアート 】!

熊本地震 以降、毎年エールを届け続けるアーティスト ≪ Cave ≫ さんを紹介。

 

10月『 懐かしの熊本市電 復活へ 』

2024年の開業100周年を前に、初のクラウドファンフディングに挑戦中!

来年4月には爽やかなブルーのラインをあしらった“ 懐かしの市電 ”が走ります。

 

11月『 引退発表のSL人吉 懐かし映像 』

アニメ「 鬼滅の刃 」とコラボした“ 無限列車 ”に扮した姿も記憶に新しいSL人吉( 蒸気機関車 58654号機 )。

落成から100年を迎えましたが、2024年 春での引退が決まっています。

 

さかのぼれば、春には『 福居がめぐる!南阿蘇鉄道 復旧の最前線 』と題し、

第一白川橋梁の工事現場 や 思い出の駅【 立野駅(跡地) 】にも足を運んだものです。

( ↑ ことし2月撮影 )

( ↑ 27~28年ほど前でしょうか。左端が福居です )

この南阿蘇鉄道といえば、来年は ついに全線復旧を果たします。

『 全線復旧は 2023年 夏 を予定しています 』と、初めてニュースでお伝えしたときには「 なんて時間がかかるんだろう・・・ 」と気が遠くなったのを覚えています。

でも、ついに・・・もうすぐ、なんですね!

夢にみた日付まで すでに1年を切っているわけですが、今どうなっているのでしょうか?

実は、SNSで “ 気になる ”情報をキャッチしました。

さっそく、取材に向けて準備中です。

その様子は 12月13日(火)のゲツキン!『 福居の気になる劇場 』で (^^)♪

防災週間に

防災士になって4年が経とうとしています、福居万里子です。

 

9月1日は ≪ 防災の日 ≫

そして、その前後 8月30日から9月5日は ≪ 防災週間 ≫ でした。

 

9月1日は『 防災・命のラジオ 』の進行役を担当。

これは、熊本県内7つのラジオ局が共同で制作し同時放送するもので、各局が災害から身を守るための取り組みを取材し、それを結集させ、リスナーのみなさんと防災について考える番組です。

ことしは熊本地方気象台・防災気象官の新地航さんをゲストに迎え、近年多発する【 水害 】にテーマを絞ってお伝えしました。

キーワードは『 逃げるスイッチを入れるために 』。

( ↑ 各局のスタッフや機材がRKKに集結!放送の裏側は こんな感じでした )

 

この春から熊本にある5つのテレビ局共同で展開した防災キャンペーンの合言葉も、

『 逃げるスイッチ、オン 』でした。

 

気象や避難に関する情報を受け取った上で、いつ・どのように避難行動に移るか――

その決め手が『 逃げるスイッチ 』です。

危険が差し迫るとき、気象庁も、行政も、私たちメディアも、

みなさんを守るために必要な情報をきっと届けると約束します。

しかし、それを受け取った みなさん自身が『 逃げるスイッチ 』を入れ、行動しなければ意味がありません。

 

いざというときは、誰かじゃなく、あなたが『 逃げるスイッチ 』を入れる。

どうか、お願いします。

私が熊本に来ようと思ったきっかけは、6年前の熊本地震でした。

熊本に来て復興への歩みを取材するうちに、

『 この街や ここで暮らす人たちを、つぎの災害から守りたい 』と考えるようになり、

防災士の試験を受けることを決めました。

 

放送局の垣根を超えて、熊本の防災のために手を取り合う取り組みに防災士として参加できたこと、必ず今後に生かします。

 

~ おまけ ~

先日 台風11号が熊本に接近した際には【 ペット同伴避難 】を取材しました。

熊本市と協定を結んでいる九州動物学院に飼い主と一緒に避難していた犬 ≪ るぅく ≫ くん と。

最近は『 イヌ・ネコ専用 避難バッグ 』もあるんです。

ペットに限らず、それぞれの家庭で いろんな事情があるはず・・・

もう一度、避難所や避難経路、非常食などの備蓄、見直してみてくださいね。

 

今回の台風は、みなさんの備えの甲斐あって 被害は最小限だったように思います。

ありがとうございました。

・・・が、台風シーズンは続きます。

まだ しばらく、気をつけましょう!

崩落した阿蘇大橋 は 今

福居万里子です。

先日の夕方Liveゲツキン!「 福居の気になる劇場 」では、熊本地震で崩落した阿蘇大橋の現状をお伝えしました。

2016年4月16日の本震で崩れた橋桁の一部は、切り立った崖に残されたまま。

県の担当者によると「 たまたま引っかかっただけで、このままだと谷底に落ちる可能性もゼロではない 」といいます。

( とはいえ かなりの重量の構造物ですから、よほどのことでもないと びくともしないそうですが・・・ )

熊本地震がいかに恐ろしいものだったか、人々に伝える【 震災遺構 】として後世に残すことになっています。

今回は、その保存工事が今月ようやく本格化したということで、その最前線を見せていただいたのです。

普段はバリケードが設置されていて近づくことはできません。

阿蘇地域振興局の案内で特別に中へ・・・

これまで立野側から何度も阿蘇大橋を見てきましたし、

河陽側のこの場所だって、バリケード越しではあるものの、初めて訪れたわけではありません。

リポーターというものは、見たもの・感じたものを即座に言葉で伝えなければなりません。

そう教わってきました。

でも、いざ 崩落ポイント に立つと・・・本当に、しばらく言葉が出てこなかったんです。

橋はアスファルト部分がしわくちゃになり、金属のジョイント部分から ごっそりと落ちています。

あれだけ大きな橋です。脆弱な造りであるはずがありません。

遠くから見るだけでは気づきませんでしたが、人々が手を触れていたであろう欄干や、道路照明灯もそのまま残っています。

 

「 怖い 」 「 信じられない 」

そんなシンプルな言葉を発するのが やっとでした。

 

震災遺構というのは、決して見ていて気持ちのいいものではありませんし、

いまだに直視できない人だっています。

 

実は この日、取材の合間に近くのお弁当屋さんで休憩していると、偶然、ある人に会いました。

阿蘇大橋の崩落に巻き込まれて亡くなったとみられる大和晃さんの父・卓也さんでした。

地震直後からRKKも取材させていただいているご縁で私も何度かお会いしていて、こちらに気づいて声をかけてくださったのです。

大和さんは会うと いつも「 ゲツキン!見てるよ 」と言ってくださいます。

今回、阿蘇大橋の取材をすると決めてからも、「 大和さんが放送を見たら 何て思うだろう 」と心に引っかかっていました。

私がこの日の取材内容を正直に話すと、卓也さんは「 そうだね、工事が始まったもんね 」といつも通り接してくださいましたが、心の内は分かりません。

立野側に設けられた見学所には、夏休み中とあって県外からの家族づれが多く訪れていました。

その会話に耳をすませてみると、

「 ここに橋があったんだけど、大きな地震があって壊れてね 」

「 亡くなった人もいるんだよ 」

お父さん や お母さんが、まだ小学校低学年くらいの子どもに言い聞かせていました。

熊本にはキラキラした楽しい場所は たくさんあるのに、家族の貴重な時間を、こうして熊本地震と向き合うことにも割いてくださっているのです。

熊本地震の爪痕を見て どう思うか

そもそも 見たいか、見たくないか

人によって違いますが、私は保存することはムダではないと信じ、見守りたいと思います