2023/3/26【70年代のスピリットその3】

中原「人吉生まれの球磨育ち、熊本の魂=[くまもとスピリット]をお届けする
中原丈雄です。もう!3月も終わりですよ〜! 毎年言ってるような気もしますけどもね、
今年もやっぱり2月が逃げ、3月が去って行きます。
ボクの場合は、
今年は2月に北海道で映画[おしゃべりな写真館]のロケがありましたんでね
いつもにも増して、時が過ぎて行くのを早く感じますねえ
今月3月は、ボクが20代の頃、1970年代の曲をおかけしております。
今月最後は、[70年代のスピリットその3・70年代後半]
お届けする曲は、千昌夫さんで[北国の春]」」

[今週の一曲]『北国の春』千昌夫
中原「[中原丈雄のくまもとスピリット]、お届けしている曲は、1977年(昭和52年)
千昌夫で『北国の春』。
GSとかビートルズばっかりじゃないんですねえ、私はこういう曲も流すんですよ。
北国の春を待つ人の様子、そして離れて暮らす人の様子が何か目に浮かびますねえ。
良い歌ですねえ」

[アジアの歌、北国の春]
中原「この[北国の春]はですねえ。ボクが台湾に行った時に、台湾の人たちが
カラオケで(日本の歌っていうと)必ずコレを歌うんですよね。
テレサ・テンさんがカバーで歌いましたけども。台湾や中国ではこのテレサ版が
大ヒットして、アジアで広く親しまれているそうなんですねえ。」

[70年代後半の中原青年]
中原「さて!今夜のお題は[70年代のスピリットその3・70年代後半]。
70年代のはじめ[結婚しようよ]の頃は、ボクも[結婚]して[変化のはじまり]の頃でしたね。
音楽事務所でデューク・エイセスのマネージャー見習いの頃ですよ。
でもボクがやりたかったのは[演じる]仕事。
それで音楽事務所をやめて[未来劇団]に入ったものの、役者だと全くメシが食えない
それで生きるのが大変だったのが70年代の半ば、巷では[なごり雪]の歌がラジオから
流れておりました。
そして70年代後半は、[何くそ!成功するまで役者は辞めんぞ!]という気持ちで
何とか劇団の主役を務めるまでに、まあ来ておりましたけど。
そんな70年代、色々ありましたが…」

[北のスピリットとは?]
中原「さて[70年代後半のスピリット]とは?
いつか訪れる[春]を夢見てガムシャラに生きる、そんなスピリットだったように
思います。今宵は、そんな若き日々を思いながら[時習館]で一杯。
ではまた来週!日曜の夕方5時にお会いいたしましょうかねえ。
くまもとの魂=くまもとスピリット、中原丈雄がお届けいたしました。」

【(全国から)お便り、常に暮集中です!】
中原「お便りは、nakahara.rkk.jp まで。抽選で[白岳KAORU]をプレゼントしますバイ!」


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