2022/12/11【『私は20歳ではない』のスピリット】

中原「人吉生まれの球磨育ち、熊本の魂=[くまもとスピリット]をお届けする
中原丈雄です。何かと忙しい年の瀬、皆様いかがお過ごしでございますでしょうか?
わたくし中原は、先月に続き、今月も仕事にライブに大忙しでございました。」
◎12/9(金)には東京銀座のライブハウス[銀座TACT]で一人芝居&ライブが!
中原「この歳になってもね、大好きな音楽をライブで出来るなんて思ってませんでした。
20歳の頃はねえ、東京に出て大学やめて、高円寺のアパート暮らしながら芝居の道を
模索しておりました。悶々としておりました。
リスナーの皆さんは20歳の頃、どんな青春を過ごしていましたか?
まずはお聞きください!ジュリエット・グレコ『ノンムッシュ私は20歳ではない』。
今日のお題は[私は20歳ではないのスピリット] 」

[今週の一曲]『ノンムッシュ私は20歳ではない』ジュリエット・グレコ
中原「[中原丈雄のくまもとスピリット]、 お届けしている曲は、1977年(昭和52年)
ジュリエット・グレコで『ノンムッシュ私は20歳ではない』」

[ジュリエット・グレコの青春]
中原「このグレコはねえ、フランスを代表するシャンソン歌手であり女優なんですねえ。
10代の頃はねえ、レジスタンス活動家のおっ母さんとゲシュタポに捕まったりもしたり、
大戦後のパリ解放で彼女も解放されて、文化の花ひらくパリで多くの文化人と交流が
あったそうですねえ。
ヌーベルバーグの監督ゴダール、そしてトリュフォー、哲学者のサルトルなんかと
芸術について哲学について語り合っていたそうですよ!凄いですねえ。」

[中原丈雄の20歳〜そして40歳]
中原「私、中原丈雄の20代はと言えば…まあ本当に。
劇団でねえ芝居をやってるでしょう。そいでねえ、20歳ですよ。
10年経ってどうなるんだろう?ってねえ、何も具体的なアレが浮かんでこないんですねえ
悶々とした日々を送っておりました。それから紆余曲折がありまして…
40になって、このグレコの歌を石井好子さんから通じて、知りましてね。
◎石井好子さんは、日本のシャンソン歌手の草分け、中原丈雄さんの名付け親です。
中原「いやあ、本当に。グレコがそのパリでゴダールやサルトルと交流していたように
ボクも石井さんを通じて、美輪明宏さんとか後に映画を撮る中島丈博さんとか
色んな方との出会いがあったんですけどもねえ。」
◎中島丈博監督の映画「おこげ」(1992年)に40代の中原さんは出演、高い評価を得ます。

[[私は20歳ではない]のスピリットとは?]
中原「さて![私は20歳ではない]のスピリットとは…
ボクの場合、若い頃に悶々としていたからこそ[40代]から今に至るまで
良い出会いがあり、良い人生を過ごしているように思います。
そんなボクの人生の傍らには、人吉球磨の米焼酎[白岳]あり!
ではまた来週!日曜の夕方5時にお会いいたしましょう。
くまもとの魂=くまもとスピリット、中原丈雄がお届けいたしました。」

【(全国から)お便り、常に暮集中です!】
中原「お便りは、nakahara.rkk.jp まで。抽選で[白岳KAORU]をプレゼントしますバイ!」


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